2010年12月18日土曜日

あなたがどこにいようとも

  私は窓から身をのり出して、
  雲ひとつない夜空とそこに浮かぶ月の暈を見上げていた。
  すべてはそこにあった。すべては宙に浮かんだまま。
  雨も、霰も、火も、石も、そして神がいるならば、その御心も。
  恒星も、惑星も、彗星も、私たちの運命も。
  すべては宙ぶらりんのまま、空の彼方に浮かんだままだった。

              ――アンドレア・バレット『地図に仕える者たち』

 



 師走も半ばを過ぎ、いよいよ殺人的スケジュールに突入した夢ねこです。
 芳年の残酷絵がいつまでもブログのトップに来るのもどうかと思うので、
 とりあえず近所で撮ったクリスマスの画像をアップします。
 
高島屋のツリーは小ぶりながら、シックでかなり凝っていますね。

             伊勢丹は「森」をイメージしたツリーだそうです。
     

          シカやクマやフクロウなど、森の動物たちが隠れています。

             駅ナカのリースはシンプル。


 子供のころ、アジアのとある小国に住んでいたとき、
 毎週のように教会(日曜学校)に通っていたことがあって、
 クリスマスには賛美歌を歌ったり、
 聖歌隊でキャンドルサービスをして各家庭をまわったり、
 聖書物語の劇を演じたり
 外国製のクリスマスカードを交換したりして、
 あのころがいちばんクリスマス気分を満喫できたように思います。

 クリスマス、冬至の祝い、ミトラの祭り。

 若いころ経験したゴージャスなクリスマスも良かったけれど、
 教会でロウソクを灯して厳かに過ごしたクリスマスのほうが、
 懐かしくて、印象深い。




頭上では流星が空を切り、熱い石が降り注ぐ。その光に満ちた草原の彼方には、私にはけっして手にすることのできないものが存在していた。私が手に入れられるのは、いま私の隣にあるものだけだった。

それでも
夢ねこはそっとささやいた、「神は天にあり、世はすべてよし」。



2010年12月9日木曜日

首が飛んでも動いてみせるわ

某歌舞伎役者さんが、「反省が足りない」とボコボコに叩かれているけれど、
いいんじゃないかな、そんなに殊勝にならなくても。


歌舞伎なんて今でこそ高尚な伝統芸能として祭り上げられているけれど、本来はもっと血みどろで、極彩色の地獄絵図や濡れ場が登場するエログロの世界。

そういう世界をお行儀のいい品行方正な役者ばかりが演じてもツマラナイ。



 もともと河原者や同朋衆は闇の世界ともつながっていたのだし。


もっと地獄を見て、泥水を飲んで、女性を散々泣かせて、叩かれても叩かれても這いあがってくるような役者こそ、凄みのある色悪が演じられるのであって、
海老蔵さんには成田屋のお家芸以外にも、そうした役を演じられる「華」と素質があるのだから、オモテとウラの顔を使い分けながら、ぜひともこのまま突っ走っていただきたい(って、夢ねこが言うまでもなく、いずれまた何かやってくれると思うけど)。



 反省して小さくまとまらないで(山に籠って修業なんて論外)、
 「首が飛んでも動いてみせらぁ」というあの名ゼリフを地で行くような
 毒気と色気をあわせ持つ、グレードアップした海老蔵さんを見てみたい。