2012年3月31日土曜日

東京ミッドタウン・ストリートミュージアム

三月末の金曜日、サントリー美術館で開催されている『悠久の光彩・東洋陶磁の美』展をふたたび訪れました。

数々の建築アワードを受賞した東京ミッドタウンの内部

訪れるたびに新しい発見があって、お気に入りのやきものが増えていくので、ほんとうに素敵な展覧会。特に、青磁と李朝のやきものに惹かれました。
高麗青磁なんて、ほんとうに翡翠のようだったし。

ちょうど東京ミッドタウンでは開業五周年を記念して、『ストリートミュージアム』が開かれていたので、美術館への行き帰りに、ちょこっと鑑賞。

『ストリートミュージアム』には、Tokyo Midtown Awardアートコンペの歴代受賞者の作品が展示されています。


《純情のこみち》牧野永美子、山崎裕治

桜のある風景はみんなの原風景、というようなテーマでつくった、ほのぼのとした作品。
鉄やガラス以外にも、和紙や楠が使われていて、ぬくもりがありました。
とくに、樹木の幹の穴から顔をのぞかせている子が可愛い!


《Stain "Droop"》藤井秀全

光が空間や身体に浸透していく感覚を「光の染み」として表現したもの。



《丸型ポスト》山本麻璃絵

現在のポストの横に置かれた、丸型ポスト。
ぐにゃりとした歪みと粗い質感が面白くて、くたびれた帽子をかぶったくたびれた人間のよう。
たばこ屋さんのある、鄙びた町角に立たせてあげたくなります。



《今、彼方より風向きを。》小松宏誠
アヒルとカラスの羽でできた超微風観測器。
解説では、「風向きを知ろうとする姿は翻弄される姿を見間違う。見つめる彼方にある点は振り向くだけで遥か彼方へ。定点観測のような今。」

いまの夢ねこにとって、風は詩的なイメージよりも現実的なイメージのほうが強い。
風力発電とか、ドライアイに辛いとか、SPEEDIの予測とか。
そういう意味合いをも含めた、風刺的でアイロニカルな作品のほうが面白かったかも。



《みえない景色》木村恒介

解説によると「歪められた鏡面に映る景色を見ることで、改めて日常とは何かという問いを感じてもらいたい」とのこと。

歪んでも、歪んでいなくても、現実は現実。
人は日常を生きていると勝手に思っているだけで、ほんとうのところ、「日常」などというものは存在しない。
ただ唯一無二の、この瞬間があるだけ。



《町/器/町》桝本佳子

装飾モチーフとしての町と数種の器を合体させた作品。


《町/器/町》桝本佳子

学校と運動場を合体させた町。体育館もついています。
見ていて楽しい。


山と楼閣が合体した器。
同じテーマで絵付けもされています。




波間を飛翔するカモメの器と船の合体。
船が海を運んでいるようにも見える。


《シロノカラ:旅立ち》栗真由美

「真っ黒な甲冑を白くした。すると『伝統』や『由緒』が殻になり、現在を生きる私との距離がぐっと近づいた。」(解説より)

どことなくガンダムっぽい印象の甲冑のオブジェ。


《Stream-Line》米元優曜

流線形のフォルムをしたガラス彫刻。


《Lighring Case》井口雄介

ランダムに明滅する使用済み蛍光灯を使った作品。
「本来弱々しい切れかけの蛍光灯は集合することで強い力となってあらわれる」という解説。

寿命が尽きかけた蛍光灯は、ピカピカと気まぐれに明滅するので、ふつうに使っているときは鬱陶しい存在だけど、その特性を逆手にとってアートにするという発想が素晴らしい!


この夜はスパークリングワインのサービスも。

2012年3月19日月曜日

サントリー美術館「東洋陶磁の美」展

 ゲラの校正も終わったので、まだ肌寒い3月中旬、東京ミッドタウン内のサントリー美術館で
 催されている「東洋陶磁の美」展に行ってきた。

安宅コレクションを中心とした大阪市立東洋陶磁美術館所蔵品の展覧会

大阪市立東洋陶磁美術館には、太古の昔の学生時代に行ったきりなので、久しぶりに見た安宅コレクションは新鮮だった。

第1章「中国陶磁の美」では、後漢から明代までの中国陶磁が紹介されていた。
以下は、印象に残った展示品の覚書。
(作品の画像はこちらのサイトにあります。)http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/11vol07/program.html

●緑釉楼閣  後漢時代、2-3世紀
 安宅コレクションのなかでは異色の蒐集品。
権力者の副葬品(明器と呼ばれる)だったとされる楼閣型の陶器で、上下二層に分かれた組み立て式。下層の入り口の奥には、この楼閣の主の人形が姿を見せ、上層の欄干には楽人や力士が立っており、軍事的要塞と宴の施設の両方を兼ね備えた楼閣によって、ミニチュアの死後の世界が表現されている。
 殷や周の時代には、こうした副葬品は青銅器でつくられていたが、後漢ころから青銅器の代わりに、こうした陶器でつくられるようになったらしい。
 中国陶器が青銅器の模倣から始まったことがよくわかる作例だった。


●三彩壺(重文) 奈良時代、8世紀
 唐三彩のコーナーで特に気に入ったのが、唐三彩をまねて日本でつくられた奈良三彩の壺。
 奈良三彩は、中国製の金属器をモデルにしていたため、器形も唐三彩とは異なる。
 施釉法も、唐三彩では色釉、褐釉、緑釉を施したのち、透明優を全体に掛けるのに対し、
 奈良三彩では、透明釉のぼかし掛けがないので、唐三彩のような艶のある光沢はなく、
 全体的にくすんだ素朴な色合いをしている。
 この三彩壺も、剥落や銀化があって風化が著しいが、そこがかえって侘びた風情を醸していて、
 独特の味わいがあった。造形も充実していて、心惹かれる。


●青磁 八角瓶    南宋時代、12世紀、官窯
 口縁部の釉層が薄くなり、胎土が透けて紫色を帯び、高台の露胎部に鉄銹の茶色が見える、いわゆる「紫口鉄足」の特徴が見られる優美な青磁瓶。
「天青」と呼ばれる淡い青色の乳濁釉が、まろやかに霞がかった春の空のような色合いを滲ませている。
この瓶は、もともと北京の故宮博物院に秘蔵されていたもので、1970年にロンドンのオークションに出品され、その際に安宅氏の依頼を受けた人物が、中国陶磁としては当時史上最高値で落札したという。
 1970年といえば、文化大革命の混乱期。海外オークションに出品されなければ、もしかするとこの壺は粉砕されていたかもしれない。


●青磁鳳凰耳花生(重文)  南宋時代、12世紀、 龍泉窯
 砧形鳳凰耳花生の名品中の名品とされる「万声」や「千声」に比肩するとされる丹波篠山の青山家伝来の花生。
とろりとした、光沢のある明るい緑青色の玉のような質感が蠱惑的で、触れてみたい衝動に駆られた。


●青磁刻花 牡丹唐草文 瓶(重文)  北宋時代、11-12世紀、耀州窯
 背が低く、口が小さく、肩が衝き、底に向かってすぼまらない直腰の「吐嚕瓶(とろびん)」(または太白尊)と呼ばれる形状の瓶。耀州窯の作品では、吐嚕瓶の器形のものはこれ一点だけとされている。
首のまわりと裾には、片切彫の剣先繋文が施されている。
深い彫りに艶っぽいオリーブグリーンの青磁釉がたまって、味わい深い表情を見せていた。
モダニズム建築のインテリアにも合いそうな優品だ。


●飛青磁 花生(国宝)   元時代、13-14世紀、龍泉窯
 成熟した女性のように腰がぼってりとふくらみ、頸がきゅっと締まって、口がラッパ状に広がる、
 いわゆる「玉壺春形」の青磁瓶。
 非の打ちどころのないほど端正な左右対称の造形に、渋い金泥のような鉄斑文で遊び心を
 鏤めている。
 気品のある深い青緑の釉色や着物の裾のような朱色の高台から、匂い立つような色気が漂う
 妖艶な壺だった。
 


●白磁刻花 蓮花文 洗(せん) (重文) 北宋時代、11世紀、定窯
 「定白」と呼ばれる明るい乳白色の洗(たらい状の器)。
 光に透けるほど薄い白磁に、浅い片切彫で蓮花文を刻み、縁に銀の覆輪を施している。

 この白磁は、今回展示されている紫紅釉の盆などの他の2点とともに、もとは壺中居の創業者・
 広田不孤斎が「三種の神器」として大切に秘蔵していたもの。
 これに目を付けた安宅氏がぜひ譲ってほしいと、不孤斎に猛烈アタック。
 もちろん、不孤斎はきっぱりと断ったが、あるとき、安宅邸に呼び出され、部屋に通された。
 不孤斎が床の間を見ると、そこには自分がしたためた断りの手紙が表装され、掛け軸となって
 かかっている。そこへ安宅氏が登場し、「なにとぞ、お譲りのほどを」と深々と頭をさげたところ、
 不孤斎もついに降参。かくしてこの白磁の器が安宅コレクションに加わったというエピソードが
 伝わっている。
 「美の猟犬」と言われる安宅氏の執念深いハンティングの作法を、この逸話からうかがい知るこ
 とができる。


●青花 蓮池魚藻文 壺(重文)      元代、14世紀、景徳鎮窯
 近年、ますます評価が高まり、欧米オークションでの落札価格も高まっている青花の酒会壺(しゅかいこ)という形の壺。
 中国語では「魚」は「余」と同じ発音なので、中国では魚には、「年年有魚(余)」といって、年々財産が余って、豊かになるという吉祥の意味が込められている。
(西洋では、魚はキリストの受難のシンボル。文化によって象徴性がこうも違うものかとあらためて考えさせられる。)
 蓮も吉祥文なので、この壺にはじつにおめでたい装飾が施されていることになる。


●油滴天目茶碗(国宝)    南宋時代、12-13世紀、建窯
 螺鈿細工を鏤めたような見事な油滴天目茶碗。
 青みがかった斑文とゴールドの覆輪が、品格のオーラを発している。
 豊臣秀次が所持していたものが、西本願寺から三井家、若狭の酒井家へと伝来し、安宅氏の手に渡ったとされている。


●木葉天目茶碗(重文)     南宋時代、12世紀、吉州窯
 加賀前田家伝来の天目茶碗。
 漆黒の黒釉の茶碗に、黄土色の一枚の木の葉が張り付いている。
 葉脈の細部まで表現されていて、本物の木の葉が塗りこめられているように見える。
 小さな底面から直線的にすっと広がる、端正で緻密な侍好みの造形。
 一分の隙もなく計算され尽くした、透徹した美を宿した茶碗だ。


●法花 花鳥文 壺(重文)    明代、15世紀、
 明三彩の一種。
 色釉が混ざるのを防ぐために、文様の輪郭を盛り上げて描く「法花」という技法が使われている。盛り上げた輪郭「堆線」の内側に色釉を置いて、着色する。
 この壺では、ターコイズブルー、緑、藍色、レモンイエロー、紫など、さまざまな色釉を使って、鳥や花や蝶が華やかに描かれていた。


●釉裏紅牡丹文盤        明代、14世紀、景徳鎮窯
 洪武年間、海外からのコバルトの輸入が途絶えたため、コバルト顔料を使う青花の代わりに、酸化胴で文様を描いて、高温で還元焼成する釉裏紅の技法が使われるようになった。
 ただし、胴は揮発しやすいため、文様がすぐに飛んで薄くなってしまうのが難点だったため、この技法はそれほど長くは使われなかったらしい。
 薄くぼやけた茶色い紅色の文様から無常感が漂う、儚い魅力のある繊細な器だった。



第2章「韓国陶磁の美」では、タイトル通り、韓国の陶磁器が展示されていて、中国陶磁との違いを比較しながら、鑑賞することができた。

●青磁瓶     高麗時代、12世紀
 高麗青磁は女性的で優美な造形のものが多いが、この青磁瓶は優雅でありながら、凛とした佇まいの妙齢の女性を思わせる玉壺春形の美しい姿をしていた。
「翡色」と呼ばれる、灰色がかった神秘的な緑色は、釉色によるものではなく、鉄分を含んだ胎土によるものとされている。


●青磁陽刻 牡丹蓮花文 鶴首瓶    高麗時代、12世紀
 鶴首瓶の名にふさわしく、鶴がすっと細い首を伸ばしているような洗練された器形の瓶である。
 立原正秋はこの瓶についてこのように述べている。
「首の方ですこし右方にねじれている。このねじれが面白い。ねじれをいびつとみてもよい。味がある。陰刻も美しい。ながめていると、首のねじれ方が道を歩いている三十女がふとたちどまり、ちょっと後ろをふりむいた、といった風姿である。私ははじめてこの瓶とであったとき、こんな女が目前に現れたら弱ることになるぞ、と思ったものである」

 さすがは小説家、巧いことをいうものである。
 とりわけ、この「こんな女が目前に現れたら弱ることになるぞ」というのが面白い。
 なるほど、美術品への好みも、異性(もしくは同性)に対する好みと同じようなものかもしれない。
 わたしは、凛としたちょっと冷たい感じの女性が好みなのに対し、立原氏は、思わせぶりに振り向いた風情の三十女がタイプということか。
 やきもののコレクターに男性が多い理由も、このあたりに関係がありそうだ。


●粉青白地象嵌 条線文 祭器   朝鮮時代、15-16世紀
 高麗時代から朝鮮時代にかけて、青磁から白磁へと高麗陶磁が変遷していく過渡期に数多くつくられたのが、粉青沙器。
 粉青とは、印花(スタンプ文)、象嵌、掻落、刷毛目、鉄絵、粉引などの装飾技法を駆使して、鉄分の多い陶土に白土釉で化粧掛を施したもの。
 この祭器は、中国の青銅器の「方い」という形を模倣している。また、青銅器の雷文に似せるために、白土の象嵌で条線文が施されている。
 ただし、ここには中国青銅器に見られる緻密さはみじんもなく、叩きつけるような荒々しい造形と、無造作な描線があるばかりである。
 安宅氏はこの祭器に「弁慶」という銘をつけたとされるが、そうしたネーミングはこの祭器が持つ荒削りな美に由来するのかもしれない。

 この作品に限らず、韓国の粉青には、素朴でプリミティブで野趣に富んだ味わいがある。日本の茶人や民芸運動の提唱者たちに高く評価されたのもうなずける。


●白磁壷     朝鮮時代、17-18世紀
 朝鮮時代半ばになると、白磁が隆盛を極める。この丸い大きな壷は「満月壺」と呼ばれるもので、志賀直哉が旧蔵していた。それが志賀直哉の友人の東大寺管長の手に渡り、紆余曲折を経て、大阪市立東洋陶磁美術館に所蔵されていたのだが、1995年に盗難に遭い、粉砕されてしまう。
その後、驚くべき修復技術によって、ほぼ完璧なまでにもとの姿に戻り、今回晴れて展示されることになった。
 継ぎ目などもほとんど分からないほどの素晴らしい技術だった。



●青花 草花文 面取瓶    朝鮮時代、18世紀前半
「秋草手」(18世紀前半、広州金沙里窯制作の青花磁器の一種)の瓶。
 乳白色の釉色を背景に草花をあしらい、余白を多く残した、清楚で可憐な青花の瓶はいかにも日本人好み。
 奥ゆかしい小ぶりの徳利が、詩情をたたえながら、しっとりと静かに佇んでいる。
 コレクターたちがいつか手に入れたいと、秋草手に憧れるのも無理はない。



   
(感想)
本展覧会は作品数も多く、しかも名品ぞろい。非常に充実していた。
この日は閉館まで3時間ほど滞在したけれど、まだまだ見足りなくて、全部見てまわることができずザンネン無念。
会期終了までなんとか時間を見つけて、もう一度行ければと思う(無理かなあ……)。

それにしても、安宅英一の審美眼は凄い!
ほんとうに自分の欲しいものだけを、用意周到に、着実に手に入れていった人なのだ。
最終的には、東洋陶磁のコレクションも、速水御舟コレクションも、他の人の手にわたったけれど、コレクターにとって、コレクションそのものが作品なのだとあらためて実感した。
だからこそどんな形であれ、コレクションが散逸せずに、一箇所で大切に収蔵され、○○コレクションとして展示されることが、ある意味でコレクターにとっては本望といえるのではないだろうか。
わたしにとっては、東洋陶磁の魅力に開眼した記念すべき展覧会となった。
(もちろん、コレクターにはなれないけどね……。)





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