2019年10月5日土曜日

木ノ下歌舞伎オープンラボ 第三期『道成寺』編

2019年10月5日(土)京都芸術劇場春秋座ロビー

春秋座も木ノ下歌舞伎もはじめて。木ノ下裕一さんにはかねてから興味があったので、よい機会だった。木ノ下さん、40代くらいかと思ったら、まだ30代。なのに、昔の映画やサブカルチャーのことに詳しいところはさすが。頭の回転の速く、古典芸能のあれこれを今風の分かりやすいものに譬え説明するのが巧い。

山村友五郎さんはトークの時は関西人らしい舞なのに、上演となると何かが憑依したようにスイッチが入る。この切り替えが素晴らしい。そして、あの嫋やかでなまめかしい手の動きときたら……。至近距離で拝見して、上方舞の豊かな表現技法を堪能できたのが何よりの収穫。



【『道成寺』のストーリーと歴史の解説】
和歌山県出身の木ノ下裕一さんならではの、《道成寺》の解説が見事。『道成寺』の物語が、能などの諸芸能に取り入れられていくまでの歴史の解説が面白かった。以下のような5段階で、道成寺が歌舞伎や舞踊の題材となってゆく。

(1)『大日本国法華験記』平安期
『道成寺』(安珍・清姫伝説)の原典。この物語では、女は「娘」ではなく「未亡人」という設定。僧侶も年長者と青年の2人が登場し、当然ながらヒロインは若い修行僧に恋をする。

(2)『今昔物語』平安期
このバージョンでは女は死亡し、その幽霊が蛇となって現れる。

(3)『道成寺縁起絵巻』
この絵巻では、女が僧を追いかけていくうちに、尻尾が生え、顔が蛇になり、やがて着物を着た蛇の姿になる。シンゴジラの形態変化のように蛇へと変貌していくさまが描かれている。

(4)能《道成寺》

(5)能をもとに、歌舞伎や舞踊の「道成寺物」がつくられる。


【山村友五郎さんによる実演1《古道成寺》】
「道成寺」物は、(1)鐘系と(2)黒髪系(「道成寺黒髪供養」髪長姫の物語)の
系統に分かれる。
(1)鐘系は、さらに、①原説話系(娘の夜這い→僧の逃走→鐘炎上をリアルタイムで語るもの)と、②後日談系(能《道成寺》や黒川能《鐘巻》に描かれた鐘供養が軸となるもの)とに分かれる。

実演1では、①原説話系に属する、地歌「古道成寺」が20分にわたり上演された。
「あの若い僧こそお前の夫となる人だ」と父親に言われた娘はそれを信じて、一途に僧に思いを寄せる。夜這いを掛けるときの、衣紋をつくろい、髪をなでる恥じらいのしぐさ。身体中から恋の蒸気が立ち上るように、心も体も燃え上がってるのが分かる。
友五郎さんの手ぶり、腰つきが何とも色っぽい。
何の迷いもなく、全身全霊をこめて、僧の胸に飛び込んてゆく。
そんな娘の純粋な、そして純粋であるがゆえに、狂気をはらんだ恋心がなよやかな舞によって描かれる。

「せめて一夜は寝て語ろ 後ほど忍び申すべし」と娘を部屋で待たせ、振り返った僧侶の顔が豹変する。

「仕すましたり」

ここで、若い僧はおのれの穢れた煩悩を祓うように我に返り、夜半にまぎれて一目散ににげてゆく。

娘が蛇になって日高川を渡るところは、銀地の扇2本で荒れ狂う川浪を表現。ジャグリングのような鮮やかな扇ざばき。

大河を泳ぎ切ったところで、鱗文の扇1本に持ち替え、それをクルクル廻しながら、蛇の赤い舌の動きや逆巻く炎を描き出す。

最後は龍頭に見立てた扇を口に加え、龍が鐘を七巻したところで、尾で鐘を叩くと、灼熱の炎で鐘が溶け、若い僧を焼き焦がす。

ここは、娘が僧に会いたいあまりに尻尾で鐘を叩いただけで、殺すつもりはなかったのだろうと、あとで友五郎さんがおっしゃっていたのが印象的だった。


【山村友五郎さんによる実演2《京鹿子娘道成寺》山尽くし】
実演2では、②後日談系に属する、長唄「京鹿子娘道成寺」から「山尽くし」を上演。

「面白の四季の眺めや三国一の富士の山」から、吉野山、嵐山、朝日山……と22の山が登場する。
「石山」では、筆に何かを掻きつける所作で紫式部が『源氏物語』を執筆しているさまを表現。「大江山」では、お酒を飲むしぐさで盃を飲む酒呑童子をあらわす。「三上山」では「三(み)」と「見(み)」をかけて、鏡を見るしぐさ。「稲荷山」では、ケモノ足で狐を描写し、「姨捨山」では背負う所作で棄老の場面をほのめかす。

最後のほうの「入相の鐘」という言葉でようやく《道成寺》との関連が明かされる。

それぞれの山が連想させる故事がフラッシュバックのようによみがえる非常に楽しい小段だった。