松本竣介《並木道》1943 |
宮城県立美術館所蔵の洲之内コレクションの一枚として松本竣介の《白い建物》が、日曜美術館で紹介されていて、松本竣介の絵を見たいと思っていたところ、運よく彼の作品に出会うことができた。
写真ではくすんだ色だが、実際の作品はもう少し青みがかっていて静謐な心象風景のような印象。
松本竣介が聴覚を失っていたことから、彼の作品は「音のない世界」といわれるが、本当に無音の世界の中で、時が止まったかのような不思議な絵だった。
東山魁夷《青響》1960 |
福島市から会津若松を抜ける土湯峠のブナの原生林と山肌を流れる清らかな滝を描いた作品。
鳥肌が立つほど神秘的で奥深い碧。
画家に霊感を与えた彼の地の自然。
その清浄で神々しい山を汚してしまった人間の愚かさを、この画は鏡のように映しているような気がした。
この画は言葉以上に、人間の愚行の結果を雄弁に物語っている。
奥田元栄《磐梯》1962 |
宮城県生まれの画家の作品。
絵の具で厚く彩色することにより、岩肌のゴツゴツした質感を再現している。
「磐梯山に対峙したときに抱いた自然の脅威や畏敬といったものを、自分なりに表現できたと思った」と画家は述べている。
高村光太郎《鯰》1926 |
どうして高村光太郎が「東北を思う」のカテゴリーに入るかというと、『智恵子抄』の阿多多羅山(安達太良山)つながりだからとのこと。
その『智恵子抄』に「鯰」の制作過程をうたった詩がある。
盥の中でぴしやりとはねる音がする。
夜が更けると小刀の刃が冴える。
木を削るのは冬の夜の北風の為事である。
煖炉に入れる石炭が無くなつても、
鯰よ、
お前は氷の下でむしろ莫大な夢を食ふか。
檜の木片は私の眷族、
智恵子は貧におどろかない。
鯰よ、
お前の鰭に剣があり、
お前の尻尾に触角があり、
お前の鰓に黒金の覆輪があり、
さうしてお前の楽天にそんな石頭があるといふのは、
何と面白い私の為事への挨拶であらう。
風が落ちて板の間に蘭の香ひがする。
智恵子は寝た。
私は彫りかけの鯰を傍へ押しやり、
研水を新しくして
更に鋭い明日の小刀を瀏瀏と研ぐ。
佐藤玄々《動》1929 |
ガブッ。
ネコ(豹?)がガチョウにかぶりつく瞬間。
福島県相馬郡出身の彫刻家の作品。
ペルシアの獅子狩文などに、獅子が鹿や猛禽にかぶりついている姿がよく描かれているが、 そこから着想を得たのかもしれない。
ネコもガチョウも必死なのだろうが、どことなく愛嬌がある。
印象的な面白い彫刻だった。
萩原守衛《女》1910 |
長野県出身の萩原守衛がなぜ東北なのかというと、モデルの相馬黒光が宮城県の出身だからとのこと。
こじつけ?
いずれにしろ、いまはこういう情念系は少し苦手かもしれない。
黒光という女性が、どうも苦手なのだ。
萩原守衛《文覚》1908 |
平櫛田中《鶴しょう》1942 |
非常に重量感のある岡倉天心像。