先週、山種美術館創立45周年記念特別展に行ってきたので、その覚書です。
いつもながら、山種美術館は照明が秀逸。
日本画が多いので、絵画に負担をかけないよう照度をかなり抑えていて、会場全体では薄暗いのだけれど、それでいて作品が最も美しく見えるようにデザインされている。
筆致の細かい部分や絵の具の厚みの微妙な差異までよく見える絶妙なライティング。
おかげで、川合玉堂《早乙女》の彫り塗り(塗り残し技法)やたらしこみ、奥村土牛《醍醐》の錦臙脂と胡粉による薄紅色、上村松篁《白孔雀》の繊細優美で透けるような羽根などを細部まで堪能できた。
特に上村松篁の《白孔雀》は、あたたかい色合いの花の下に、まぼろしの鳥がたちあらわれた瞬間のような霊妙で厳かな雰囲気が漂っていて、絵のまわりの空気さえも清めるほどのどこか神がかり的な光輝を放っていた。
清らかでぬくもりのある霊気や儚げで消え去ってしまうような感覚をこれほど見事に表現した絵を見たのははじめてかもしれない。
ほかには、東山魁夷の《年暮る》が特に心に残った。
これは川端康成に「京都はいま描いといていただかないとなくなりますよ」と言われたことがきっかけで、京都ホテル(京都ホテルオークラ)の屋上から見下ろした大晦日の京都を描いたもの。
ふんわりとした綿帽子のような大粒の雪が、「東山ブルー」に染まった京の町屋にしんしんと降り積もる。
古都をやさしく包み込む、天からの恵みのようなぼってりした雪。
障子越しにほのかに明かりが灯っていて、静かだけれど、人の住む息づかいが感じられる。
心の中に、あたたかい雪がじんわりと溶け込んでいくような、そんな絵だった。
速水御舟の《炎舞》をみると、画家というものは絵に魂を塗りこめて描くのだとあらためて思い知らされる。
舞いあがる炎、舞いあがる煙、舞いあがる蛾、そして舞いあがる蛾の残骸。
焼かれるために、華やかな翅を美しく広げて舞う夜行蝶。
色鮮やかな炎にうっとりと心惹かれながらも、さまざまなメタファーが浮かんでくる。
いつも、いつも、この画を見るたびに、夢想することがある。
1匹の蛾となってこの死の舞踊に加わり、恍惚として炎に吸い込まれていく自分の姿を。
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