2011年8月15日月曜日
終戦の日に
今年の終戦の日と原爆の日には、これまでになく、いろいろなことを考えさせられた。
開戦の道のりや大本営発表、恐るべき楽観主義など、原発事故と重なる部分が多いからだ。
言葉は無力かどうかは分らないけれど、いまの自分にはこの気持ちをうまく表現するのは難しい。
原発事故で苦しむ人たちの姿をテレビなどで見ると、ただただ、感情がとめどなくあふれてきて、号泣するばかりだ。
贖罪や無力感、自分を含めた人間の無知や愚行については、3月のブログに散々書いたが、言葉で表現しきれないもどかしさがあった。
しっくりくる言葉や作品に出会うことなく、わたしの感覚は少数派だと思っていたところ、「短歌研究7月号」に掲載された水原紫苑さんの歌が、この想いを見事に代弁してくれていた。
以下に紫苑さんの作品の一部を紹介する。
言葉最(もと)も無力なるとき名を問はれいのちを問はれ未来問はるる 水原紫苑
惜しみなく神は奪ふをひたすらに見るよりぞなきまなこ罪在り 以下同
まがつ火を北に負はせてぬばたまの首都死のごとく明るかりにき
アトムの子われら蒙昧の民にして官・産・学の輪を知らざりき
たれも見ぬ山の桜のちりぎはに暴悪大笑面あらはれぬ
無知は死に値せる罪あやまちは繰りかへされぬわが無知をもて
さらに紫苑さんは、次のようなコメントを同誌に寄せている。
「あの日から異なる次元に入った私たちは、どこへ行くのか。どこへ行ったらいいのか。(中略)私は、既に若くはないが、年老いてもいない。遺された時間を、今生まれ出た嬰児のような思いで、光と闇を手で探りながら、生きてゆきたい。」
もとより未来は予想できるはずはない。
不確実性に満ちた世界で、
人は「過去に似た未来」があるという幻想を抱いて生きていただけだ。
自分の未来、世界の未来を思い描くことのできた日々は終わった。
何も見えない時代。
それでも、残された時間を手探りで生きていくしかない。