訳稿の校正も終わって一段落ついた日曜日、五島美術館へ出かける。
この日は源氏物語絵巻公開日の最終日ということもあり、世田谷の閑静な住宅街に建つ
美術館には、意外にも、かなりの人が押し寄せていた。
この日公開されていたのは夕霧の巻。
一条御息所から届いた文を読もうとする夕霧の背後から雲居雁が忍び寄る、
あの有名な場面である。
それにしても、平安時代の絵巻物がこれだけ良好な状態で保たれているのは、
まさに奇跡としかいいようがない(一部、江戸時代に修復されたようではあるが)。
顔料の剥落や褪色はあるものの、高温多湿の日本にあって、きわめて繊細な紙絵が
ここまで見事に残されているとは……。
本美術館のスタッフをはじめ、平安以降の後世の人々がどれほど大切にこの絵巻物を
扱ってきたか、どれほどこの絵巻物を愛してきたかがうかがい知れる。
他にも、紫式部日記絵巻や三十六歌仙絵などがあり、いっとき雅な世界に浸ることができた。
「匂い立つような」という言葉があるように、日本の人々は女性の美しさを、香りや所作や雰囲気から感じ取ってきたのだと、絵巻を見ながら改めて感じたものである。
本展示でいちばん気に入ったのが、「沙門地獄草子断簡――火象地獄図」だ。
「沙門」とは、サンスクリット語のシュラマナ(出家者)を音訳した漢語、つまり僧侶のことであり、
この地獄図では、淫蕩に耽った僧侶が地獄に落ちて、「火象」という火を噴く象に
身を焼かれたり、食べられたりしているさまが描かれている。
平安末期なので、象はまだ当時の人々にとっては、麒麟のように想像上の生き物(幻獣)
だったのだろう、現在われわれが知る象とはかけ離れた姿をしていて、象というよりも、
鼻が長い凶暴な人食い牛のように見える。
象(特に白象)は仏教やヒンドゥー教では神獣として扱われるが、その象に
本来聖職者であるはずの破戒僧が食べられるというところが、
この地獄草子のミソなのだろう。
他に見ごたえがあったのが琳派のコレクションである。
本阿弥光悦筆・俵屋宗達下絵の色紙帖や鹿下絵和歌巻断簡では、渋く光る金・銀泥で
描かれた宗達の洒脱な下絵に光悦の装飾的な書が、じつに見事に調和していた。
余白と絵と文字の絶妙の配置。このバランス感覚の素晴らしさ。卓越した才能の共演が生み出す美は、やっぱ、いいですね。
興味深かったのが、伝宗達筆と光琳筆の「業平東下り図」が二幅並べて展示されていた点である。
伝宗達筆の「東下り図」では、業平一行の姿が画面全体を占めているのに対し、
光琳筆の業平図では、画面左上方に富士山が大きく配され、業平一行は右下に
小さく描いているだけである。
構図のセンスの良さ、奇抜さの点では、光琳筆のほうが面白い作品に仕上がっている。
きっと光琳は、宗達の「東下り図」を参照しながら、その一歩先を行く意気込みで
この画を描いたにちがいない。
光琳の洒脱なセンスがさらに発揮されているのが、「紅葉流水図(竜田川図)」。
デフォルメされた丸い緑の山が二つ連なり、山のふもとでは川がなだらかな曲線を
描きながら流れていく。
青い川には、光琳特有の竜田川模様が金で描かれ、背景も金泥で塗りつぶされている。
丸みを帯びた画面(もとは団扇だったものが掛け軸に仕立て直されたため団扇型の
画面になっている)の右上方と下端には、赤い紅葉がアクセントのように配され、
いかにも琳派(光琳)らしい絵に仕上がっている。
五島美術館は庭園も素晴らしく、五月晴れのこの日は若葉が陽光に照らされて、
透き通った緑色のセロファンのように、みずみずしく輝いていた。
庭園で発見した不思議な石像
狛犬のバリエーションだと思うが、羊だろうか。
象に見えなくもない。