2010年5月31日月曜日
洲之内徹と長谷川潾二郎
どんより曇った肌寒い日曜日、遅い朝食を済ませた後、録画してあった日曜美術館を見る。
今日の特集は、長谷川潾二郎。
わたしが潾二郎を知ったのは、ごく最近のことである。美術評論家・洲之内徹の没後20年を記念して刊行された『洲之内徹が盗んでも自分のものにしたかった絵』の表紙に「猫」の絵が飾られていたのがきっかけだった。
「猫」の絵は、一言でいえば「色調と造形の美しい絵」ということになるが、そんな頭でっかちの表現はこの絵には似合わない。
もう、胸がキュンと締めつけられるような、一目惚れしてしまうタイプの絵。見ているだけで幸せな気分になれる絵。いつもそばに飾って、ずっと慈しんでいたくなる、そんな絵なのだ。
(この絵を表紙にして『洲之内徹が盗んでも自分のものにしたかった絵』というタイトルをつけるセンスには脱帽!)
この本には他にも、「バラ」や「道」など、潾二郎の作品が何点か収録されている。
「静謐・孤高」と言われる潾二郎だが、彼の絵は確かに静かではあるものの、そこにはどこかぬくもりがある。描く対象への敬意と慈愛が見る者に伝わってくる。
彼が描く絵には「孤高」という言葉が醸し出す冷たさや寂寥感はなく、自己と自己がとらえる現実(リアリティ)の世界への充足感がもたらす安らぎに満ちている。
現実をていねいに見つめ、ていねいに描き、おのれの生をていねいに生きた人ではないだろうか。
洲之内徹は、潾二郎についてこう書いている。
「長谷川さんの仕事の遅いのには泣かされる。昭和四十五年の春、私の画廊で長谷川さんの個展を開いたが、個展の約束をしたのは六年前であった。ちっぽけな画廊の壁面を埋める十七点の商品を揃えるのに六年かかった」
裏を返せば、六年待っても個展を開きたいほど、洲之内徹は潾二郎の絵に惚れ込んでいたことになる。
(洲之内徹が書いた「猫」の絵にまつわるエピソードはここには引用しないが、洲之内徹が画家に対して抱いた深い敬意と理解、そして絵に寄せた恋情ともいうべき、熱い思いがうかがい知れるエピソードとなっている。)
『洲之内徹が盗んでも自分のものにしたかった絵』の解説によると、洲之内徹には自分の画廊で個展を開くにあたり「暗黙的条件」があったという。
それはつまり、「他の評判や、地位とか名誉とか、それらが箔になってついている作品はだめである。うぶくないといけない。したがって、マイナーである。マイナーであること」だった。
これこそ画商の真骨頂だろう(商売としては成り立たないかもしれないが)。
洲之内徹の美へのこだわりと、美術品にかぎらずおのれの美意識に忠実に生きたその生きざまについては、彼の女性遍歴とともに、『彼もまた神の愛でし子か――洲之内徹の生涯』(大原富江著、ウェッジ)に詳しく書かれている。著者・大原富江は言う。
「彼にとっては絵も女も、いつまでも、いま眼の前にいるそのものだけでなければならなかった。絵についての、いかにももっともらしい意味づけが大嫌いであった。(中略)絵も女も、いつも眼の前に存在する「絵」そのものだけ、「女」だけでなければならなかった。それはしかしなにも彼だけが特殊であったわけではなく、すべての人間に、男にも、女にもあるエゴイズムであった。正直で、妥協しないとなればそうなるほかない。別の言い方をすれば純粋なのである。」
洲之内徹のコレクションは彼の死後、宮城県美術館に収蔵された。その一部を、現在平塚市美術館で開催されている「長谷川潾二郎」展で見ることができる。
絵にまつわる歴史的宗教的背景、作風の変遷といった、さまざまな知識を学ぶのはそれはそれで楽しい。寓意に満ちた絵の謎ときは、絵画鑑賞の醍醐味のひとつでもある。
でも、予備知識のない真っ白な状態で、「いつも眼の前に存在する『絵』そのものだけ」を見つめ、「美しいものが美しいという」疑いようのない事実を認めて、絵に無心に向き合うことこそ究極の鑑賞法なのかもしれない。
青山二郎といい、洲之内徹といい、日本にはこういう個性的でクリエイティブな目利きがいるから面白い。美は人に見出されることによって、美になるのである。