2010年6月12日土曜日

オルセー美術館展:最後の印象派

  
 
 新国立美術館で開催されているオルセー美術館展に出かけた。平日とはいえかなりの混み具合。日曜美術館で紹介される前だから、これでもマシなほうだろう。この日のお目当ては、おもにルソー、ドニ、そして愛しのモロー。以下は感想・おぼえ書きなど。




第1章 1886年―最後の印象派

 1874年に初の印象派展が開かれてから十余年。印象派の画家たちがそれぞれの道を模索するなかで、最後の印象派展(第8回)が開かれる。本章では印象派からポスト印象派への転換期の作品が紹介されていた。


 モネやドガ、シスレーなど「ザ・印象派」という作品が多いなかでいちばん印象に残ったのは、モネの有名な『日傘の女性』。

 モネは日傘をさす女の絵を少なくとも3枚描いたとされている。

 1枚目のモデルは、彼の最初だった妻カミーユ(とその後方に息子のジャン)。
 光あふれる空を背景にして、日傘をさしてこちらを振り向く絵の中の女性は、その顔まではっきりと映し出されている。

 他の2枚が描かれたのは、その11年後の1886年。

 カミーユはすでに病死していたため(享年32歳)、モデルは2番目の妻アリスの連れ子だったシュザンヌだと言われている。
 今回展示されていたのはこのシュザンヌの絵のほうで、顔はぼかされ、誰なのか判別がつかない。モネが女性の顔をぼかして描いた理由については諸説あるが、やはり亡き妻への追慕から、このような表現にしたのではないだろうか。


 陽炎の彼方に浮かぶ思い出の世界。印象派特有の茫漠とした光と色の表現から、現実とも虚構ともつかない世界が生み出される。
 モネは追想や夢の中に現れるカミーユの姿をこの絵に投影したのかもしれない。

 カミーユは亡くなる数年前から地獄を味わった。
 モネとカミーユの家庭に、のちにモネの2番目の妻となるアリスとその子どもが転がり込んだのだ。カミーユは病に伏せながら(子宮がんだったとされている)、夫の愛人と同居するという辛い三角関係の中で過ごさねばならなかった。精神的な苦痛を紛らわすためだろうか、彼女は日増しに衰弱していく中でアルコールに溺れ、意識不明のままこの世を去る。
 モネは自責の念にかられ、あの世に旅立ったカミーユはモネの永遠のミューズとなった。

 モネは比較的若いころから白内障を患っていたとされる。
 彼の目に映る現実はすべて彼の心象風景だった。
 すべての輪郭はぼやけ、曖昧模糊とした世界の中で、モネは自分が見たいものを見、見たくないものは見なかった。見たいものしか見ないことで周囲の誰かを傷つけても、それが彼の目に映る現実であり、創作の源だった。

 愛する人を裏切り、傷つけ、苦しませておきながら、その死後に永遠の存在として崇拝し、愛慕する人間の身勝手さ、愚かさ、そしてそれゆえに生み出されたこの絵の美しさ。絵から漂うとらえどころのない哀愁が心に残った。

参考画像