2010年6月18日金曜日
『語りかける風景』展:『ミューズ』から20年後のマルト
梅雨入り前の先週の金曜日の夜、Bunkamuraミュージアムで開催されている 『語りかける風景』展に出かけた。
展示作品はいずれもストラスブール美術館所蔵のもの。
フランスとドイツの国境付近に位置するストラスブールは、かつては神聖ローマ帝国(ドイツ)の交通の要衝として栄えたが、ルイ14世時代にはフランスの統治下に置かれ、さらに普仏戦争で再びドイツ(プロイセン)領になり、第一次世界大戦後にはフランス領に奪回され、そして第二次世界大戦中にはドイツに占領され、大戦後にフランス領となって今に至るという、波乱の歴史を持っている。
今回の展覧会では、フランス・アルザス地方とドイツ・バイエルンという、それぞれ独特の持ち味のある地域の絵画を見ることができた。
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19世紀の絵画が中心の本展覧会は6つのコーナーで構成されている。
最初のコーナーが《窓からの風景》。
15世紀に窓によって切り取られた屋外の一部が絵画作品の中に導入されたのが、風景画の原点だと解説には書かれていた。
画家の意図と心情が風景画にしだいに込められるようになっていったそうである。
ここで印象に残ったのが、モーリス・ドニの『内なる光』。
先日、ドニの『ミューズ』についてオルセー美術館展の項(http://yumenokyusaku.blogspot.com/2010/06/blog-post_2134.html)で述べたが、本作品は同じ女性(ドニの妻マルト)をモデルにしたもので、『ミューズ』からおよそ20年後(1914年頃)に描かれた作品。
『ミューズ』ではそのタイトル通り、装飾的な森を背景にこの世ならぬ厳かで優美な姿で描かれたマルトだったが、本作『内なる光』では、大きな窓を開け放した室内で、テーブルについた三人の娘とともに描かれている。平穏な家庭を描いた日常のひとコマだ。
彼女の姿にはかつてのような神秘性は消え、代わりに三人の子を産んで育て上げたという誇りと余裕と貫禄が漂っている。
幸せそうな家族を描いたあたたかみのある作品だが、陰翳と頽廃と幻想に彩られた十九世紀末の終わりを告げるような絵画でもあった。
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次の《人物のいる風景》のコーナーでは、ギュスターヴ・ブリオンの『女性とバラの木』が、人気が高かった(『5時に夢中!』で、ここの学芸員の宮澤政男さんとジョナサンがこの絵の前でコントをやっていた)。
庭に咲き乱れるバラと、その香りを楽しむ青いドレスの若い女性。女性の繊細な上衣のレースとその美しい金髪が陽光に照らされて、明るく輝いている。誰が見てもおそらく綺麗だと思うような、万人受けする絵だった。
このコーナーでわたしが気に入ったのが、ナビ派の画家ヴァロットンの『水辺で眠る裸婦』。
先日行ったオルセー美術館展でも、公園で子どもが遊ぶ姿を平面的に描いた(光と影の対比が面白かった)『ボール』などが展示されていたが、この作品では、葦原に囲まれて横たわる裸婦を前景に大きく配し、後景には川か湖でボートを漕ぐ3人の男が描かれている。『ボール』と同じく、いや、それ以上に平面的で、細部を描き込まない単純化されたポスターのような絵だ。
と思ってみていると、解説には「単純化された形態は木版画家としての経験を通じて身につけられた」と書かれていた。
このコーナーには他にも、ピカソの『闘牛布さばき』が展示されていた。マティスっぽい明るい色彩に荒々しい黒のタッチがルオーを彷彿とされる、ピカソにしては少し変わった絵だった。いろんな画家の画風や要素を取り入れた試験的な作品なのかもしれない。
カンディンスキーやマルクらとともに青騎士を結成したハインリヒ・カンペンドンクの『森』では、いかにもドイツ表現主義らしく、鮮やかだがどこか暗さのある色彩と大胆で力強いフォルムが織りなす世界が構築され、異彩を放っていた。
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3番目が《都市の風景》。前の2つのコーナーはあまり風景画らしくなかったが、ここからしだいに風景画らしくなっていく。
ヨハン=フリードリヒ・ヘルスドルフの『ホバーデンの廃墟』が心に残った。
前景の崖には鹿の親子、その向こうに広がる森の中には朽ちて廃墟となった古城が見え、彼方の地平線には沈みゆく夕日が描かれている。静かだが物語性に満ちた作品だった。