第Ⅰ部第2章は「藩主細川家」で、豊前小倉と肥後熊本の藩主になった細川家ゆかりの品々
が陳列されていた。
ここでは、前述のようにお目当ての宮本武蔵の「鵜図」はなく、代わりに同じく武蔵の
「達磨図」を見ることができた。
この達磨図、武蔵らしくないというか、筆に迷いがあるようで、気迫がいっこうに感じられない。
どこかションボリした風情の、頼りなげなダルマさんなのだ。
後で紹介する白隠の達磨図とは対照的だった。
このコーナーの見どころは、わたしが「肥後のリンネ」と勝手に呼んでいる細川重賢が熱中した
博物学関連のコレクションだ。
「百卉侔状」や日本で初めて昆虫の変態を描いたとされる「昆虫胥化図」
(いずれも18世紀半ば)は、画家でナチュラリストのマリア・シビーラ・メーリアンが
18世紀初頭に出版した『スリナム産昆虫変態図譜』のように緻密で美しい。
『スリナム産昆虫変態図譜』
また、「押華蝶」は、参勤交代の帰路に重賢が採集した植物標本をまとめたものであり、
珍しい草花を見つけるたびに馬から降りて採取したというカール・フォン・リンネの
エピソードが想起される。
当時は大名同士でコレクションを見せあったり、交換したりしたというから、
おそらく18世紀の日本にも博物学のひそかなブームが押し寄せていたのだろう。
ちなみに、澁澤龍彦は美術論のエッセイの中で、
「江戸琳派と呼ばれる抱一および其一こそ、日本で初めて植物の品種を
見る者にそれと分るように、写実的に描いた画家なのである。
抱一や其一の描いた植物は、すべて私たちが植物図鑑を見て同定することのできる
ものばかりである」(『日本芸術論集成』河出文庫)と述べている。
澁澤さんが「日本のマニエリスト」と呼ぶ酒井抱一が、「風雨草花図」(通称「夏秋草図屏風」)
を描いたのが19世紀の初め。
重賢がお抱え絵師に「百卉侔状」を描かせたのが18世紀半ばだから、
それよりもかなり時代が下ることになる。
つまり、18世紀に日本で花開いた(静かな)博物学ブームの素地があったからこそ、
精緻な写実性に優美で洗練された装飾性を加えた江戸琳派の草花絵が
生まれたのではないだろうか。
そんなふうにあれこれ妄想が浮かんでくるほど、重賢の博物学コレクションは見事だった。
生物多様性とリンネの探検旅行