2010年5月17日月曜日
小池龍之介さん講演会 その2
すうっと音もなく、痩躯の青年僧が現れた(著書によると普段は裸足で歩いておられるそうだが、わたしはド近眼なので確認できなかった)。
着席された小池龍之介さんは無言のまま、数分間、瞑目(瞑想?)された。
講演中、小池さんは何度も話を中断して、数秒から、長いときは数分間、目を瞑って沈黙されるのだが、これが龍之介さんの講演スタイルらしい。
おそらく、さまざまな刺激に反応して、「怒」や「欲」や「迷」の命じるままに言葉を発することのないよう、心を鎮めるための作法なのだろう。
一般の人がこの瞑目の作法やると奇異に(パフォーマンスっぽく)映るかもしれないが、小池師独特の雰囲気と、剃髪した僧侶の出で立ちというユニフォーム効果とが相まって、たび重なる沈黙タイムもそれほど気にならなかった(ように思う)。
今日のテーマは「育てる」。
子どもはもとより、家族やパートナーなど、自分と近しい人を、自分の意識のありようによって育てることについてのお話だった。
話の内容をまとめると、さまざまな刺激を受けて条件反射的に、「ああしなさい」、「こうしなさい」と言っても相手には通じない。それがたとえ理屈の上では正しくても、怒りや感情に駆られて発言すれば、相手がその言葉を受け入れることはないだろう。ゆえに、怒りに駆られて行動に移す前に「8呼吸おく」ようにする、とのことだった。
刺激に自覚的になることによって、刺激に反応して感情的な行動に出るのを防ぐことができる。刺激に自覚的になるには、「臨場感」を持つことが大切だと、小池さんはおっしゃっていた。
それはおそらく、心の状態を観察するマインドフルネスや、我を忘れて「今この瞬間」を生きるフロー体験、あるいは「自己を習ふといふは自己を忘るるなり」という正法眼蔵の言葉にも通じる、小池さん流の表現なのだろう。
(小池さんは浄土真宗の僧侶であるが、その教えは基本的にはヴィパッサナー瞑想に近く、なおかつ、さまざまな宗派の教義および現代の思想が盛り込まれているようにも思う。それらを独自のユーモア感覚あふれる知的な表現法と、古くて新しいソフトな語り口で説いたのが、「小池龍之介本」なのである。)
小池さんの話し方は穏やかで、抑揚がなく、まるで子守唄のようで、聞いているだけでリラックスできた(メンタルエステした気分)。
わたしのような衆生には、話の途中で瞑目するのは難しいが、感情に駆られて行動しないためにも、「8呼吸おく」ことをつねに意識するよう心がけていこうと思った。
講演が開かれたラウンジでは、小田原務さんの「尾瀬の四季」写真展も開催されていた(かなりピンボケになってしまいましたが、実物はとってもきれいでした)。