松江旅行の続きです。
明々庵から坂を下って、武家屋敷が立ち並ぶ塩見縄手へ。
塩見縄手とは、武家屋敷の前に広がる通りのことを指します。
初代出雲藩主堀尾吉晴が1607~1611年の松江城築城の際に山々を掘削して、
内堀とそれに平行する道路、そして侍屋敷を造成してできた城下町の通りです。
縄のように一筋に伸びた道であることから、「縄手」と呼ばれているとのこと。
武家屋敷の前には松江城の堀が流れています。
そういうわけで、武家屋敷の中へ。
(夢ねことしたことが、「長屋門」を撮り忘れてしまいました。やっちゃった!)
長屋門とはその名の通り、門としての機能も備えつつ、中間(ちゅうげん)と呼ばれる武家奉公人の住居(長屋)にもなっている、武家屋敷独特の門なのです。
門の隣が事務所になっていて、その隣に奉公人の住居(長屋)が横に長く続いています。
道側には物見窓がついていて、防衛機能も果たしていたようです。
こういうマルチ機能を備えた造りって大好き!
日本人って、こういうの得意ですよね。
門をくぐった前庭の左手の隅にこんなものが。
何だと思います?
そう、刀を試し斬り(&研磨)するための「盛り砂」だそうです。
江戸時代の松江藩では、実戦で刀を使うことなんてめったになかっただろうし。
式台玄関
前方左には足を洗うたらい、奥の右手には立派な姫駕籠。
松江藩の家老の娘が嫁いだ際に使われたものだそうです。
やはり昔の女性は小柄だったんだなあ。
奥の壁上方には、驚くほど長い槍や薙刀が掛けられています。
昔のお侍さんは、あんなものを振り回していたんですね。
あっぱれ、あっぱれ。
松江城とその城下を描いた屏風。奥には神棚が祀られています。
武家屋敷らしい質実剛健な書院造の座敷
解説によると、「中老・塩見小兵衛のもとに、緊急の用件で近習頭某が
書類を持参し、指示を仰ぎに罷り出ている」場面とのこと。
中老の背後は立派な床の間になっていて、掛け軸が掛けられています。
陳列されている甲冑も見事。
武家屋敷のお庭
雪隠
二畳中板の侘びた茶室
やはり松江藩の家臣はみな茶を嗜んだのでしょう。
不昧公は茶道随筆『贅言(むだごと)』の中で、茶事の奢侈贅沢を戒め、
茶道は修身治国の資たるべきと説いていました。
ここは、館の主が身を修める神聖な場だったのですね。
新鮮で美味しい水が汲めそうな井戸
井戸の近くには、湯殿や台所などの水廻りが配置されており、
機能性に富む造りになっていました。