2011年5月11日水曜日

小泉八雲旧居 ~ ハーンとキーン

さらに田部美術館の隣にある小泉八雲旧居へ。


 左目を失明していたラフカディオ・ハーンは正面からの撮影を避けていたので、
 これは珍しい写真。
 写真のように知的で思索的な人だったのでしょうか。


武家屋敷での暮らしに憧れていたハーンが、この家を借りたのが明治24年(1891年)。
5月から11月までの半年間、妻のセツとともに過ごしたそうです。


           門を抜けると、庭の左隅に句碑が。

       くわれもす八雲旧居の秋の蚊に      高浜虚子

  昭和7年に虚子がここを訪れた際に詠んだ句。
  刺されるととりわけ痒いと言われる「秋の蚊」の代表句ですが、
  秋の蝉ほどではないにしても、秋の蚊にも、どこか行く季節を惜しむような
  切ない語感があります。
  そうした哀惜の感情が、八雲を偲ぶ感情とどこか重なり合ったのでしょうか。


           レトロな歪みのある窓ガラス越しに見える庭

小泉八雲は随筆『知られぬ日本の面影』の第16章「日本の庭園」の中で、自邸の庭について次のように書いています。

「……そこには苔の厚く蒸した大きな岩があり、水を容れて置く妙な格好の石鉢があり、年月の為め緑になった石灯篭があり……」
 

         鯱鉾も当時のまま(元は松江城にあったそうです)。 

「……また、城の屋根の尖った角に見るやうな――その鼻を地に着け、その尾を空に立てた、理想化した海豚の、大きな石の魚の――シャチコホが1つある……」




「荒く削ったままの平たい幾列かの石を伝って、種々な方向に横切ることができる。全体の感銘は、ある眠くなるような物寂しい気持ちの好い処にある。ある静かな流れ川の岸の感銘である」



室内はごくごく狭い日本家屋の造り。
ハーンは身長160センチと小柄だったから、それほど不便はなかったのかもしれません。

きっと必要最小限のものしか持たないシンプルな生活を送っていたのでしょう。

憧れるなあ、そういう暮らし。
物質的豊かさとは違う、心豊かな暮らし。
エネルギー消費の少ない暮らし。




ハーンは、庭の小動物に愛情を注いだと言われてます。

とりわけカエル君がお気に入りで、ヘビに食べられることを憐れんで、食事に供された肉をヘビに与えてカエル君を救ったそうです。            

ハーンの旧居をめぐりながら、ドナルド・キーン氏にも思いを馳せました。       
ハーンと同じように日本をこよなく愛し、日本の文化を海外に紹介し、そして日本に帰化することにしたキーン氏。
彼は、雑司ヶ谷に眠るハーンの生まれ変わりのような気がしてきたのです。
        
 


八雲旧居の前の堀川では、遊覧船がのどかに浮かんでいます。

でも、ここは島根原発からわずか10キロの場所。

ハーンとキーン氏。
日本と日本の文化を深く愛した2人の気持ちに報いるためにも、この美しい国を何としても原発の汚染から守りたい、守らねばと、決意を新たにした旅でした。