会期終了間近だけあって、平日にもかかわらず館内は混み合っていた。
第Ⅰ部は〈歴史画と寓意画〉。
ルーラント・サーフェレイの《音楽で動物を魅了するオルフェウス》やヤン・ブリューゲル(子)の《楽園でのエヴァの創造》では、当時高まりつつあった博物学的関心を反映して、旧約聖書やギリシア神話の主題の中に象や駱駝、孔雀や駝鳥など、エキゾチックな動物たちが登場する。
動物園(メナジェリー)の起源は、ウィーンのシェーンブルン動物園(宮殿横)とする説や、フランス革命後のパリ動物園とする説などがあるが、それより以前の17世紀の北方では、もっと小規模な動物園が存在していたのだろうか。
それともブリューゲル(子)などは、書物や他の絵画からの知識だけで、これらの絵を描いたのだろうか。古代中国やエジプト、メソポタミアにも動物園が存在していたらしいから、その辺の歴史を調べてみたくなった。
寓意画には、四匹のネズミが輪になって踊っている《ネズミのダンス》など、フランドル絵画らしくその土地の諺にもとづくものもあった(「ネコが外にいると、ネズミが机の上でダンスを踊る」という諺に由来する)。
面白かったのが、ダーフィット・デニールス(子)の《錬金術師の工房のクピトたち》。
愛の神クピト(エロス)たちが小難しい顔をして、金属を火で炙って精錬したり調合したりして錬金術にいそしんでいる絵だ。
周知のように錬金術(alchemy)は化学(chemistry)の語源。英語では互いに惹かれあうときに、「There's chemistry between you and me」などと言ったりするから、愛の摩訶不思議な力をクピトが研究・創造している図なのだろうか?
オットー・ウェニウスの『愛のエンブレム集』から題材をとった絵だそうだ。(注1)
レンブラントの《サウル王の前で竪琴を引くダヴィデ》はもう一度じっくりと見てみたい作品のひとつ。
音楽の名手で、「詩篇」の作者であると信じられてきたダヴィデ。絵画では、キリストの「原型」として扱われることも多く、その一方で、静かに竪琴を奏でる姿はオルフェウスの属性とも重なる部分もある。
憂鬱症に苦しむサウル王を音楽で癒す場面(元祖音楽療法!)がよく描かれるが、本作では、サウル王の心に一瞬沸き起こった嫉妬や自らの老いに対する苛立ちが見事に描かれている(ロバート・デ・ニーロなんかが巧みに演じそうな表情)。
2番目の妻ヘンドリッキェをモデルにしたとされる《バテシバ》
このダヴィデがサウルの死後に王となった時に、人妻バテシバに横恋慕をして、彼女に求愛の手紙を送り、その手紙を読んで途方に暮れるバテシバの姿をレンブラントは後に描いている。
《バテシバ》(ルーブル美術館蔵)はレンブラントの作品の中で最も好きな絵のひとつだが、聖書の登場人物の人間臭い普遍的な心の葛藤と、理想化されていない生身の肉体をドラマティックに描くところが、レンブラントらしい。
第Ⅱ部は〈肖像画〉だった。
ここでは、レンブラントの工房にいたニコラース・マースの《黒い服の女性の肖像》など、黒い衣裳に身を包んだ貴族や裕福な市民の肖像画が多かった。
彼らは多くの場合、「ラフ」と呼ばれるドーナツ状の白い襞襟を首まわりにつけている。ルネサンス期にイタリアで流行したラフは、17世紀オランダで引き続きもてはやされ、このラフの状態でその人の経済状況が分かるとさえ言われた(白いラフは汚れやすく、糊づけにも非常に手間がかかった。このラフの手入れを担当する専任の召使までいたそうである)。
今回展示されている肖像画のラフはどれも純白で手入れが行き届いており、贅沢な黒の布地とともに、描かれた人々がかなりの富裕層に属していたことがうかがわれる。
また、黒衣の肖像画が多いのは、宗教改革以降、プロテスタントの人々にとって黒が「最も威厳があり高潔でキリスト教的な色とみなされた」(ミシェル・パストゥロー『BLEU 青の歴史』筑摩書房より)からであろう。
ラシャや絹織物の豪奢な質感が黒で描かれることによって際立っていた。
(注1)
ダーフィット・デニールス(子)の《錬金術師の工房のクピトたち》の元ネタが気になったので、後日、『愛のエンブレム集』(オットー・ウェニウス+ダニエル・ヘインシウス著、伊藤博明訳、ありな書房)を取り寄せて調べてみた。
『愛のエンブレム集』は、1608年に3種類の多国語版として刊行された。
本の構成は、見開きの左ページにモットーとエピグラムを、右側ページには楕円形の枠内に画家のオットー・ウェニウスが描いたさまざまなクピドの図像を収めたものになっている。
ラテン語のモットー、およびエピグラムについては、ウェニウス自身が、古典作家(オウィディウス、セネカ、キケロ、タキトゥス、プラトン、アリストテレスなど)の作品からセレクトしたとされている。ただし、これらのエピグラムは、必ずしも図像と完全に対応していない。
オランダ語のエピグラムはウェニウス自身が作者だと推測される。
今回展示されていたダーフィット・デニールス(子)の《錬金術師の工房のクピトたち》の典拠となったのは、『愛のエンブレム集』に掲載された「確かな愛は不確かな事柄において見分けられる」というモットー。
同ページの図像には、《錬金術師の工房のクピトたち》と同じように、右側にはクピドが坩堝で金属を溶かしている図、左にはもう一人のクピドが貨幣を吟味している図が描かれている。
そのエピグラム(警句)として、以下のような記述がある。
「おまえは貨幣の偽造を、必要とするまえに試金石によって検査するだろうが、
まったく同様に、愛も正しく吟味されるべきだ。
というのは、黄褐色の貨幣は火の中で検査されるが、
同様に、信頼は厳しい時期に吟味されるべきだから。
火の中の黄金のように、
石の上で、火の中で黄金が試される。
そして、必要な折には、火の中の黄金のように、
愛する者の真実はあらゆる場所において示されねばならない。
そして、そこで、愛の証が見てとれる。」
なるほどー。
震災以降、離婚相談件数が増えたとか、婚約指輪の売り上げが伸びたなどの噂を聞くけれど、この警句にあるように「火の中で黄金が試される」ように「信頼は厳しい時期に吟味される」ということか。
震災が、愛の試金石になったわけだ。
そんなふうに背景を踏まえたうえで、もう一度この《錬金術師の工房のクピトたち》を観賞すると、さらに面白味が増すかもしれない。
ちなみに、フェルメールも『愛のエンブレム集』から影響を受けた作品を描いている。
フェルメール《ヴァージナルの前に立つ女性》 |
左の山の風景を描いた小さな絵は、ヴァージナルの裏蓋に描かれた山岳風景とともに、女性が近い将来向かう場所を暗示している。
さらに、女性の心の内をあらわしているのが、右側のクピドの絵だとされている。このクピドの絵の典拠となったのが、『愛のエンブレム集』に描かれた、片手に弓を持ち、もう一方の手でカードを掲げているクピドの図像だ。
『愛のエンブレム集』では、クピドが掲げたカードに月桂冠と「Ⅰ」という文字が描かれており、クピドはさまざまな数字を記した書物を右足で踏んでいる。
この図像のモットーはアリストテレスの格言「完全な愛はただ一人に向けられる」に由来し、そのエピグラムには以下のように記されている。
「アモルは一人を愛し、一人を連れ出し、一人に戴冠し、
残る多くの物を足で踏みつける。
河は、多くの支流に分れれば分れるほど、
小さな川になり、やがて水を欠いて消滅する。
『私はあなただけが好きだ』と言える者を選びなさい。
唯一の者
クピドには唯一性が必要である。
アモルは分割しえないので、地面上の他の数を足で踏みつけ、
ただ「一」だけを喜ぶ。
流れが分かれると、たちまち河は干上がる。」
つまりフェルメールの絵は、ヴァージナルの前に立つ女性の一途な愛を、クピドの絵によって表現したことになる。