(「蘆雪」という字のほうが好きなので、以下、蘆雪とする。)
淀藩の下級武士の子として1754年に生まれた蘆雪は、長じて円山応挙に画を学んだ。
やがてめきめきと頭角をあらわし、源琦とならんで応挙門の「二哲」と呼ばれるようになる。
蘆雪の生涯については謎が多く、彼の弟子で養子だった蘆洲が著わした蘆雪の一代記が、明治維新の際に戦火で焼失したことから、さまざまな憶測を呼び、作家のイマジネーションを刺激した。
司馬遼太郎は早くから目をつけて、1960年代半ばに『蘆雪を殺す』という短編を発表している。
今回の展覧会(後期)では順路の最初のほうに、応挙と源琦の作品が展示されている。
唐美人を得意とした源琦は、師の画風を忠実に受け継いだ正統派。
展示されていた《楊貴妃図》も実に隙のない端正な筆致で、髪の毛なども細く、やわらかく、こまやかに描かれていた。
対する蘆雪の《唐美人図》は、緻密さにおいては源琦には及ばないものの、構図においては卓越している。
おそらくこの絵師の空間感覚、バランス感覚には、天性のものがあるのだろう。
師の整った画風や正統的な型を打ち破りたいという、蘆雪の熱い欲求が伝わってくるようだ。
ちなみに、司馬遼太郎は『蘆雪を殺す』の中で、応挙門下のこの2人の高弟に互いの画風を評させている。
蘆雪は源琦の作品に対して「(画の生命である)光焔がない」と酷評しているが、源琦は蘆雪の才能を認めていて、「鬼才やな」と虚心に褒め、「しかし悪口をいうのやあないが、蘆雪の絵というのはまだ完成しておらんな。ただ画布にあるのは暴漫な筆づかいだけや。あれが齢をとってまとまると稀代の画名をのこすかも知れん」と言っている(正しくは、司馬遼太郎がそのように言わしめている)。
もしかすると源琦の言葉は、司馬遼自身の蘆雪論なのかもしれない。
蘆雪は46歳で急逝したので(死因については毒殺や自殺など諸説ある)、老成した作品を残すことはなかったが、蘆雪作品の魅力は豪快粗放にして自由奔放なところにあるのであって、あまりまとまるとつまらなくなるのではないだろうか。
そんなに名を馳せなくてもいいじゃない。
もっとマイナー路線でいこうよ!
(ついでにいうと、司馬遼の作品の中では蘆雪は「虚喝漢」であり、彼の絵は「豪放でもなんでもなく、こけおどしだ」ということになっており、そうした性格が蘆雪の死因にも反映されている。)
さて、彼の豪放さ、自由闊達さがよくあらわれている作品のひとつが、島根県西光寺の《龍図襖絵》だろう(展示はGWまで)。
非常に荒々しく、一見稚拙とも思えるほどの輪郭線だが、この画面の使い方、バランスのとれた空間感覚は余人には到底真似のできないものだ。
それに何よりも、これほど生き生きとした表情の龍を見たことがあるだろうか。
伸びやかに真っ直ぐ上を向いて、どこまでもどこまでも昇っていこうとする意志が感じられる。
それでいて、ひょうきんでどこか愛嬌のある龍なのだ。
ゴツゴツとうねりながら高みを望む。
蘆雪自身の生きざまを映しているような気がした。
蘆雪の代表作で、和歌山無量寺の《虎図》襖絵。
一応、《龍図》と対になっており、今回、龍虎襖絵(つまり陰と陽)が対面する形で展示されていた(これも展示はGWまで)。
夢ねこはこの絵が大好きで、昨年の虎年の折には年賀状の図柄に使わせていただいた。
ところでMIHO MUSEUM館長の辻惟雄先生は、この絵の虎が2本の前足をそろえていると言っておられるが、それだと左側に重心が傾きすぎて、身体の平衡が保てないのではないだろうか。
左足を前に突き出し、右足を後ろに折って、そろそろと両前足を交互に前に出しながら、こちら(獲物)に近づいている場面のように、夢ねこには見えるが……。
それに、そもそも、これは本当にトラなのだろうか?
どこか可愛くて、劇画チックで、「頑張ってトラになりすましているネコ」といった
風情である。
そんなユーモラスなところが、この襖絵を愛すべき画にしている。
(ここで少し転調をして文体を敬体に。なんとなれば、グーグルがブログのメンテナンスをしていて、数時間ほど書き込めなくなり、その間に書き手の気分も変わったからです。エラーが続出して、すべてのデータが消えたのかと焦りました。)
さて、今回の展示作品の中でいちばん気に行ったのが、《一笑図》でした。
こちらで見ることができます。
http://www.miho.or.jp/booth/html/imgbig/00013502.htm
「一笑図」とは読んで字の如く、「竹」に「犬」と書いて「笑」の字に似ていることから、竹の下に犬が描かれ、一つの笑いが福を呼ぶという吉祥の意味が込められている画です(「笑う門には福来る」)。
蘆雪の《一笑図》は他にもいくつかのバージョンがあり、竹とともに犬と戯れる唐子が描かれた絵が有名ですが、夢ねこはこちらの画が断然好き!
特に白い子犬のころころした後ろ姿は、夢ねこのハートをわしづかみです。
顔が自然とほころんで思わず笑みがこぼれますね。
これこそ画題にたがわない、本物の「一笑図」といえましょう。
型破りな大画面の襖絵も好きだけれど、こうした小品にも生き物に対する蘆雪のまなざし、蘆雪作品独特の味わい深さがあらわれています。
彼の作品には画面の大小にかかわらず、人の心を動かす画の生命、「光焔」が宿っているようです。