体育の日、江戸東京たてもの園で開催された東京大茶会に行ってきました。
まずは伊達家の門前で開かれた野点席へ。
「無一物」の短冊。お花は数珠珊瑚、藤袴。
「(本来)無一物」は、六祖慧能の詩偈「菩提、本と樹無し、明鏡も亦、台に非づ本来無一物 何れの処にか塵埃を惹かん」に由来します。
悟りの境地をみごとにあらわした言葉。
この言葉を松門寺の老師に教えていただいたときのことを思い出して、久しぶりに座禅会に行ってみたくなりました……。
伊達家の門前。半袖でも汗ばむような秋晴れの空。
ボランティアのお兄さんたちが入場整理をしてくださっていました。
お手前は表千家の茶箱でした。左側は半東さん。
織部饅頭っぽいけど、茶色の焼き印がないので普通の上用饅頭なのかな。
野点席の次は、高橋是清邸で開かれた茶席へ。
そう、あの二・二六事件が起きた(高橋是清が青年将校たちに暗殺された)現場で、優雅にお茶会なのです……。
高橋是清邸からのぞむお庭。
青山から移築されたので、もとはどんなお庭だったかは不明。
この長い廊下を青年将校たちが駆け抜けていったのだろうか。
お軸は裏千家十四代家元・無限斎(淡々斎)筆「雲静鶴飛高」。
ひさごの花入れに糸芒、藪茗荷、金水引、蕎麦、雁金草、数珠珊瑚、白芙蓉。
高校生の方が振袖を着て、長板のお手前をされていました。
金森浄栄作の富士釜。水差しは加藤佐助作の黄瀬戸。
風炉切は、虎年にちなんで、萩原龍山の「竹に虎」だそうです。
鶴のお軸に、富士の釜など、おめでた尽くしですね。
お菓子は「こぼれ萩」。
なかは白餡で、清々しい秋の日にぴったりのお菓子でした。
茶碗は陳元賛が焼いた明時代の茶碗。鵬雲斎の箱書があるそうです。
円能斎作の茶杓の銘は、玉川上水が流れるこの地にふさわしい「武蔵野」。
黒柿鈴虫蒔絵の香合。
秋の武蔵野に遊ぶ鈴虫という、風情ある趣向です。
2010年10月13日水曜日
東京大茶会番外編:茶席の二階に刀傷?
高橋是清邸1階で開かれた茶会が終わり、2階なども見学しました。
ここで、日本の(そして世界の)歴史が大きく変わった事件が起きました。
刀傷ではないかと言われている柱の傷。
実際には銃弾を浴びた上で、軍刀で肩を斬りつけられたという。
お孫さんを膝に抱いてやさしく微笑む写真。 せつなくて、涙が出そうになる。
彼が今の日本に生きていたら、どんな政治を、どんな金融政策おこなっていたのだろう……。
高橋是清の一行書「不忘無(無を忘れず)」
ちょっとわかりにくいですが、ゆがみのあるレトロなガラス窓。
メンテナンスは大変そうだけれど、味わい深い。
ここから是清邸を出て、たてもの園内を散策。
まずは、三井八郎右衞門邸。
エキゾチックな支那趣味の部屋。金ぴか。
禅寺っぽい花頭窓。
金箔の襖絵や額絵など。
東ゾーンに移動。小間物屋(化粧品屋)だった村上精華堂。
火鉢や卓袱台、階段下の古い金庫。こんなところに住んでみたい。
神田須田町にあった武居三省堂(文具店)。
大正時代に建てられた川野商店(和傘問屋)。
和傘問屋の店内。大きな神棚があって、襖を開ければ奥まで続いていて、
ここにも住んでみたい!
こちらは小寺醤油店の店内。味噌や醤油のほかにお酒も売っていたので、
神棚も立派(お酒と神様は切っても切れない)。
『千と千尋の神隠し』のモデルになったとされる有名な子宝の湯。
昭和の下町っぽい路地裏。
ミュージアムショップには、可愛い和小物がいっぱい!
秋柄のてぬぐい。
招き猫、かわいすぎ! 色によってご利益が違うのだそう。
キューピーのコーナーも。 たくさんすぎて、ちょっとコワイ……?
ここで、日本の(そして世界の)歴史が大きく変わった事件が起きました。
刀傷ではないかと言われている柱の傷。
実際には銃弾を浴びた上で、軍刀で肩を斬りつけられたという。
お孫さんを膝に抱いてやさしく微笑む写真。 せつなくて、涙が出そうになる。
彼が今の日本に生きていたら、どんな政治を、どんな金融政策おこなっていたのだろう……。
高橋是清の一行書「不忘無(無を忘れず)」
ちょっとわかりにくいですが、ゆがみのあるレトロなガラス窓。
メンテナンスは大変そうだけれど、味わい深い。
ここから是清邸を出て、たてもの園内を散策。
まずは、三井八郎右衞門邸。
エキゾチックな支那趣味の部屋。金ぴか。
禅寺っぽい花頭窓。
金箔の襖絵や額絵など。
東ゾーンに移動。小間物屋(化粧品屋)だった村上精華堂。
火鉢や卓袱台、階段下の古い金庫。こんなところに住んでみたい。
神田須田町にあった武居三省堂(文具店)。
大正時代に建てられた川野商店(和傘問屋)。
和傘問屋の店内。大きな神棚があって、襖を開ければ奥まで続いていて、
ここにも住んでみたい!
こちらは小寺醤油店の店内。味噌や醤油のほかにお酒も売っていたので、
神棚も立派(お酒と神様は切っても切れない)。
『千と千尋の神隠し』のモデルになったとされる有名な子宝の湯。
昭和の下町っぽい路地裏。
ミュージアムショップには、可愛い和小物がいっぱい!
秋柄のてぬぐい。
招き猫、かわいすぎ! 色によってご利益が違うのだそう。
キューピーのコーナーも。 たくさんすぎて、ちょっとコワイ……?
2010年10月10日日曜日
生物多様性について:アリの背中に乗った甲虫を探して
今月、生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)が開催される。
国家どうしが決めることだから、おそらく議論の焦点は、経済的な問題(建前上は、薬用・食用など有用な生物資源の保全、実際のところは、生物資源の利益配分をめぐる先進国と途上国の対立)に向けられるのかもしれない。
********************
本当のことを言えば(こんなことを言うとミもフタもないが)、生物の世界は人間が保全しようがしまいが多様なのであり、たとえ環境破壊が進んでも(つまり人間にとって住みにくい環境になっても)、おそらくそこは、一部の生物にとってはパラダイスとなるだろう。人間から見て荒れ果てた地球にも、多様な極限環境生物(彼らからすれば、人間のほうが「極限環境生物」だろう)が繁栄するにちがいない。
そんな本当の意味での生物の多様性について語った翻訳書が、去年の暮れに出版された。
原題は『Every Living Thing(生きとし生けるもの)』、邦題は『アリの背中に乗った甲虫を探して』(ロブ・ダン著、ウェッジ)。
この「アリの背中に乗った甲虫」とは、肉眼では見分けのつかないほど、宿主のグンタイアリとそっくりの姿をした寄生甲虫のこと(こうすることで、宿主に食べられるのを防いでいる)。
ほかにも、深海や地底に生息する微生物や、極限環境に生息する微生物、現在の生物の定義をはるかに超えた微小な生物(生物学の歴史では、生物の定義はつねに塗り替えられてきた)であるナノバクテリアあるいはナノンも登場する。
そこには人間の独善的な利益を超えた、純粋に摩訶不思議な生物の世界が生き生きと描かれている。
本書のもうひとつの魅力は、生物の新たな世界を発見した研究者たちの、じつに人間臭い素顔と「不屈の精神」だろう。
新たな生物界の発見という輝かしい科学的功績は、神(そして神の代理者たる人間)を中心とした世界観・生物観を持つ欧米において、長いあいだ、神を冒涜する行為以外の何物でもなかった。
人間こそが「神の代行者にして万物の中心」とする考えは、欧米社会に根強く残り(近年に発表された世論調査でも進化論を信じていると答えたのは米国人のわずか4割だった)、本書に登場する科学者たちはその偉大なる発見に対して、頑迷な抵抗や批判や嫌がらせを受けてきた。
彼らはいわば異端児であり、孤独な革命児だった。そして狂気にも似た情熱を研究に注ぎ、あくなき探求心と鋭い観察眼を対象に向ける生粋の研究者でもあった。
細胞内共生説を提唱したリン・マーギュリスは、非難の嵐にあっても「わたしは怖気づいたりはしない」と敢然と言い放った。
19世紀の博物学者アルフレッド・ラッセル・ウォレスは、艱難辛苦の末に集めた膨大な数の生物標本を船の難破で失ったが、それでもなお標本を収集するために、海外へ再度旅立ち、そこで自然選択説を思いついた。
全生物種カタログ化計画の推進者ダン・ジャンセンは、たび重なるプロジェクトの挫折にもめげず、新たに携帯DNAバーコード計画を始動させた。
他にも、研究者として無名のまま長年こつこつと研究を続け、50歳手前で古細菌を発見したカール・ウーズや、アリの寄生ダニに自分の名前をつけて、見果てぬ夢を来世に託すカール・レッテンマイヤー、熱帯雨林の林冠にDDTを散布して大量の昆虫標本をつくり、その分類に自己完結的な悦びを見出すテリー・アーウィンなど、実直な生物学者からマッドサイエンティストめいた昆虫学者まで、多彩な顔ぶれが登場する。
彼らの人間味あふれる生き様から浮かび上がってくるのは、輝かしい成功者のイメージとはかけ離れた、不器用で世事に疎い職人気質の科学者像であり、その姿は、この大不況の日本であえぐわたしたち(特にわたくし、不況その他の諸事情にあえぎまる夢ねこ)に生きる力を与えてくれる。
成功してもしなくても、彼らはその道を選んだのだろう。彼らが彼らであるかぎり、そう生きるしかなかったのだ。彼らの功績は世に認められ、その名は歴史に残った。
だがその影で、無名のまま消えていった研究者は山ほどいる。
世に認められず消えていった彼ら名はもちろん歴史には残らなかったが、彼らとて、彼らが彼らであるかぎり、不器用なまでに研究に打ち込むしかなかったのだろう。それが無上の悦びであり、苦しみであったのだろう。
彼らの累々たる屍の上に生物学という学問が築かれていった。
歴史に名を残した者も残さなかった者も、どちらの人生も豊かであったと、わたしは思う。
国家どうしが決めることだから、おそらく議論の焦点は、経済的な問題(建前上は、薬用・食用など有用な生物資源の保全、実際のところは、生物資源の利益配分をめぐる先進国と途上国の対立)に向けられるのかもしれない。
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本当のことを言えば(こんなことを言うとミもフタもないが)、生物の世界は人間が保全しようがしまいが多様なのであり、たとえ環境破壊が進んでも(つまり人間にとって住みにくい環境になっても)、おそらくそこは、一部の生物にとってはパラダイスとなるだろう。人間から見て荒れ果てた地球にも、多様な極限環境生物(彼らからすれば、人間のほうが「極限環境生物」だろう)が繁栄するにちがいない。
そんな本当の意味での生物の多様性について語った翻訳書が、去年の暮れに出版された。
原題は『Every Living Thing(生きとし生けるもの)』、邦題は『アリの背中に乗った甲虫を探して』(ロブ・ダン著、ウェッジ)。
この「アリの背中に乗った甲虫」とは、肉眼では見分けのつかないほど、宿主のグンタイアリとそっくりの姿をした寄生甲虫のこと(こうすることで、宿主に食べられるのを防いでいる)。
ほかにも、深海や地底に生息する微生物や、極限環境に生息する微生物、現在の生物の定義をはるかに超えた微小な生物(生物学の歴史では、生物の定義はつねに塗り替えられてきた)であるナノバクテリアあるいはナノンも登場する。
そこには人間の独善的な利益を超えた、純粋に摩訶不思議な生物の世界が生き生きと描かれている。
本書のもうひとつの魅力は、生物の新たな世界を発見した研究者たちの、じつに人間臭い素顔と「不屈の精神」だろう。
新たな生物界の発見という輝かしい科学的功績は、神(そして神の代理者たる人間)を中心とした世界観・生物観を持つ欧米において、長いあいだ、神を冒涜する行為以外の何物でもなかった。
人間こそが「神の代行者にして万物の中心」とする考えは、欧米社会に根強く残り(近年に発表された世論調査でも進化論を信じていると答えたのは米国人のわずか4割だった)、本書に登場する科学者たちはその偉大なる発見に対して、頑迷な抵抗や批判や嫌がらせを受けてきた。
彼らはいわば異端児であり、孤独な革命児だった。そして狂気にも似た情熱を研究に注ぎ、あくなき探求心と鋭い観察眼を対象に向ける生粋の研究者でもあった。
細胞内共生説を提唱したリン・マーギュリスは、非難の嵐にあっても「わたしは怖気づいたりはしない」と敢然と言い放った。
19世紀の博物学者アルフレッド・ラッセル・ウォレスは、艱難辛苦の末に集めた膨大な数の生物標本を船の難破で失ったが、それでもなお標本を収集するために、海外へ再度旅立ち、そこで自然選択説を思いついた。
全生物種カタログ化計画の推進者ダン・ジャンセンは、たび重なるプロジェクトの挫折にもめげず、新たに携帯DNAバーコード計画を始動させた。
他にも、研究者として無名のまま長年こつこつと研究を続け、50歳手前で古細菌を発見したカール・ウーズや、アリの寄生ダニに自分の名前をつけて、見果てぬ夢を来世に託すカール・レッテンマイヤー、熱帯雨林の林冠にDDTを散布して大量の昆虫標本をつくり、その分類に自己完結的な悦びを見出すテリー・アーウィンなど、実直な生物学者からマッドサイエンティストめいた昆虫学者まで、多彩な顔ぶれが登場する。
彼らの人間味あふれる生き様から浮かび上がってくるのは、輝かしい成功者のイメージとはかけ離れた、不器用で世事に疎い職人気質の科学者像であり、その姿は、この大不況の日本であえぐわたしたち(特にわたくし、不況その他の諸事情にあえぎまる夢ねこ)に生きる力を与えてくれる。
成功してもしなくても、彼らはその道を選んだのだろう。彼らが彼らであるかぎり、そう生きるしかなかったのだ。彼らの功績は世に認められ、その名は歴史に残った。
だがその影で、無名のまま消えていった研究者は山ほどいる。
世に認められず消えていった彼ら名はもちろん歴史には残らなかったが、彼らとて、彼らが彼らであるかぎり、不器用なまでに研究に打ち込むしかなかったのだろう。それが無上の悦びであり、苦しみであったのだろう。
彼らの累々たる屍の上に生物学という学問が築かれていった。
歴史に名を残した者も残さなかった者も、どちらの人生も豊かであったと、わたしは思う。
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