2011年9月21日水曜日

東京物語 ~サンシャイン水族館

2日目は明治神宮と表参道に母たちを案内した後、池袋サンシャイン60のスカイレストラン
59階の『オーシャンカシータ』でランチ。
その後、先月リニューアルしたばかりのサンシャイン水族館へ。

魚たちと水中ショー

平日だったけれど、すごい人出。
1時間ほど並んでようやくチケットを購入できました。
 
エイやサメもいます。


エイってこんな顔なんだ。

サンゴ礁と熱帯魚


ラ、ラッコ、可愛いすぎ!!


レースのようなジェリーフィッシュ


マンボウッ!


木や岩と同化したイグアナ


涼しげ~。


砂になじんで判かりにくいけれどコモリガエル。
いつも、この「バンザイ」のポーズをしています。
メスの背中に卵が埋め込まれていて、子どもはオタマジャクシ時代を経て、
小さなカエルとなって母親の背中からピョコピョコ飛び出してくるそうです。


メキシコサンショウウオ
若い人は知らないだろうけど、白変種はその昔、
「ウーパールーパー」の名で一世を風靡したものです。


トマト色したサビトマトガエル


いかにもやばそうな名前のモウドクフキヤガエル。
その名はコロンビアの先住民がこのカエルの毒を吹き矢に塗ったことに由来します。


一見かわいいドクガエルたち。
きれいな色には要注意!


ボアコンストリクター


『千と千尋』のカオナシのような変な顔の魚



お魚たちのパラダイス


ビルの屋上で泳ぐアザラシ。
狭いのでかわいそう……。


だいぶブレちゃったけど、ペンギン君


これは……アルマジロとキツネザル?


ビルの屋上ペリカン


世界最大の淡水魚ピラルク。
1億年も姿を変えていない生きた化石です。



アシカのショー。輪投げアシカ。


踊るアシカ。


この水族館には叔母のリクエストで行ったのだけれど、個人的にもかなり楽しめました。
特にラッコは一日中観ていても飽きなかったかも。












東京物語 ~旧岩崎邸

ジョサイア・コンドル設計の旧岩崎邸
                      
この日はラッキーなことに敬老の日で、60歳以上の人とその同伴者は入園料が無料だった。




旧岩崎邸内部は撮影禁止なので写真では紹介できないけれど、ステンドグラスの窓日本刺繍を施した天井装飾、床やベランダのタイル、イスラム意匠の多弁アーチ、繊細な革紐細工のジャコビアン様式の蔓草模様、和紙でつくった金唐革紙を張った壁など、当時の技術の粋を凝らしたものばかりだった。             


旧岩崎邸をあとにして、夜は母と叔母がはとバスのナイトツアー(屋根のないオープンバス「オー・ソラ・ミオ」に乗っていく東京の夜景観光)に参加するため、丸の内のはとバス乗り場へ。
ついでに東京国際フォーラムを案内。


東京国際フォーラム・ガラス棟
         



オープンバス「オー・ソラ・ミオ」
  

東京物語 ~ニコライ堂と湯島聖堂

母と叔母を旧岩崎邸に案内するついでに、ニコライ堂と湯島聖堂にも寄ってみた。

聖ニコライ堂

ニコライ堂(正式名は「東京復活大聖堂」)は、大主教ニコライによって1884年(明治17年)から7年の歳月をかけて建てられた。
設計は、ミハイル・シチュールポフとジョサイア・コンドル。
その後、関東大震災でドームが崩壊したため、現在の聖堂はのちに修復されたもの。
日本では珍しい、ビザンティン様式の正教会(日本ハリストス正教会)の建築で、国の重要文化財に指定されている。

拝観料を払うと内部を見せてもらえるので、夢ねこ一行も入ってみた。




聖堂内部は、ハリストス(ギリシャ語で「キリスト」を発音したもの)や聖母、聖人たちを描いたステンドグラスやイコン、円柱彫刻で装飾され、黄金細工が施された祭壇が置かれていて、荘厳な雰囲気だった。                                      
(奇しくも今日、教会建築に関する書籍の翻訳依頼が入ってきた。明日から数カ月は、教会建築漬けの日々になるだろう。)     


ニコライ堂を後にして、すぐ近くにある湯島聖堂へ。


入徳門(藤原基輔の筆)
  
湯島聖堂は、五代将軍綱吉が建てた幕府の孔子廟で、本邦学校教育発祥の地とされている。
この入徳門の「入徳」とは、朱熹「大学章句序」の「子程子曰、大学、孔子之遺書而初学入徳之門也」に基づく。



大成殿
       

「大成殿」の額は、創建当時は綱吉の筆によるものだったそうだが、現在の額は昭和初期の皇族で軍人でもあった伏見宮博恭王の筆である。

大成とは、孔子廟正殿の名称で、「孟子」万章下「孔子聖之時者也、孔子之謂集大成、集大成也者、金聲玉振之也」に由来する。


孔子尊像

大成殿内部には、孔子尊像をはじめ、孟子や顔子、曾子、子思の四聖配像が祀られている。



鬼龍子

「悩めるねこ」といった風情の鬼龍子(狛犬のような霊獣)。
降棟(くだりむね)にあったのが、関東大震災で焼け落ちたらしい。
鬼瓦と同様、邪気を払うものですね。



屋根に鎮座している鬼龍子

ゴシック教会のガーゴイルを彷彿させる鬼龍子。
魔除けの霊獣として同一起源なのだろう。



鬼犾頭(きぎんとう)

鬼犾頭(いわゆる鯱鉾)は、水の神様(神魚)で、火災を防ぐためのもの。
高い水しぶきの造形が、防火効果満点!?
(関東大震災の時には焼け落ちたみたいだけど。)
     
 

          

2011年8月28日日曜日

NHK短歌入選 ~短歌セラピー~

                
NHKから送られてきた入選歌のポストカード


絵心のない人が、ある日とつぜん、何かに憑かれたように絵を描きはじめるように、詩心とは無縁だった夢ねこに、ある時とつぜん歌心が芽生えて、生まれて初めて詠んだのが上の一首です。
 
きっかけは2か月前に訪れたムットーニの展覧会。
http://www.muttoni.net/info/30.htm
 
《WING ELEMENT-EDGE OF RING》という、この世ならぬ美しい作品に身体が震えるほど感動して、神の声をきくようにして生まれたのがこの歌でした。
 
せっかくだからと、『NHK短歌』という番組に投稿したところ、一週間後にNHKから電話がかかってきて、入選の報らせを受けました。
NHKの放送です。
http://www.nhk.or.jp/tankahaiku/tanka_tokusen/index.html
8月28日放送の「硝子」のところをクリックしてください。
「NHK短歌」10月号に掲載されるそうです。

いきなり一流の歌人の方に指導していただけるなんて、まさに、beginner's luckですね。
 
詩人気取りの高校生が詠んだ歌のような気がしないでもなく、すこしげんなりしますが、
今読み返すと、この歌のベースにはリルケの『ドゥイノの悲歌』の存在があったのかもしれません。
 
「第四の悲歌」で、リルケはこのようにうたっています。
 
 

こうしてついにわたしの凝視の重みに対抗せんため、天使が出現する、
人形の胴体を高々と踊らせる演戯者として。
わたしの凝視がそれを呼び出さずにはいないのだ。

天使と人形、そのときついに演戯は現前する。
そのとき、たえずわれらがわれらの存在のそのものによって
分裂させていたものが合体する。そのとき、
われら人間の四季のめぐりは、はじめて
全き運行の円環となって結ばれる。

われわれの頭上高く
そのとき天使は演戯する。
         死へあゆみつつあるわれら人間よ、
われらがこの世でしとげるすべてのことは、
いかに仮託にみちているかを、われらは思い知るべきではないか。
そこではいっさいが、それみずからではない。

 
リルケのいう「天使」とは、人間の分裂的な在り方を超えた全一性をもたらす者であり、存在の真如の相の具現者であり、おそらくニーチェがいうところの「超人」なのかもしれません。
(リルケは、ニーチェが想いを寄せたルー・アンドレーアス・ザロメから精神的・芸術的に多大な影響を受けています。)
 
「心の舞台で、いっさいの世俗的・人間的関心をはなれて、天使と人形によって行われる真の演戯とは、リルケのめざす存在の円現境の実現であろう。天使の出現と人形の生動によって実現された存在の円現境である」と、『ドゥイノの悲歌』の訳者である手塚富雄先生は解説されています。
 
 
主観と客観が一如となった全一的存在である天使。
その天使を讃え、天使に語りかけるために、リルケは詩をつくったのです。
 
 
天使にむかって世界をたたえよ、言葉に言えぬ世界をではない。天使には
おまえはおまえの感受の壮麗を誇ることはできぬ。
万有のなかで天使はよりつよい感じ方で感じている、
そこではおまえは一箇の新参にすぎぬのだ、だから
天使にはただ素朴なものを示せ。世代から世代にわたって形成され、
われわれのものとして手に触れ、まなざしを注がれて生きている素朴なものを。
天使に物たちを語れ。



 
心を病んでいた夢ねこにとって、短歌という定型詩を詠むことは、限られた空間のなかで想いや無限の世界を表現する箱庭療法のようなものでした。
 
荒涼とした心の闇のなかで見つけた、詠歌という、光り輝くひと粒の宝石。
 
夢ねこも、夢ねこの、愛しい「天使」に捧げる歌を詠んでいきたい。
 
                
                        

2011年8月27日土曜日

孫文と梅屋庄吉展へ


夏休みなので人ごみを避けるべく、東京国立博物館で開催されている比較的地味な『孫文と梅屋庄吉展』へ行ってきた。

しかし意外にも、会場はかなり混んでいた。
わりと人気のある企画なのだなと、少しびっくり。

この展覧会は、辛亥革命を起こして中国の近代化を推し進めた、中華民国&中華人民共和国の「国父」孫文と、日本に亡命した孫文を物心両面にわたって支援した日本映画のパイオニア梅屋庄吉を中心とする人々の写真展である。

20世紀初頭の紫禁城や北京の様子、孫文をはじめ胡漢民、許崇智、蒋介石などの革命家の写真が展示されていた。

印象的だったのは、孫文と梅屋庄吉それぞれの筆による「書」だ。

孫文が書いたのは「同仁」という言葉。
これは、唐宋八大家の一人である韓愈の「聖人一視、而同仁、篤近而挙遠(聖人は一視にして同仁、近くを篤く遠きを挙ぐるなり)」に由来する言葉で、差別なくすべてのものを平等に愛することを意味する。

いっぽう、梅屋庄吉の書には「積善家」と書かれていた。
「積善家」とは、『易経』の「積善之家、必有余慶(積善の家には、必ず有慶あり)」からとってもの。

両者の生き方や心構えを見事に反映した言葉である。

当時の中国の革命家には日本に留学や亡命した人が多かったし、彼らを手厚く遇し、支援した日本人も少なからずいたことを改めて実感させられた。
つまり、かつての中国の思想的エリートたちは日本に目を向けていたことになる。
それに引き換え今はどうだろう。
日本に留学したいと思う中国の思想的エリートなど、はたしているのだろうか。

そんなことを考えながら、この展覧会を後にした。

博物館できもだめし ~ 妖怪、化け物

東博本館のアールデコ式ステンドグラス

『孫文と梅屋庄吉』展をそそくさと後にして、夏休みの特別企画『博物館できもだめし ~ 妖怪、化け物大集合』展へ。
妖怪好きの夢ねことしては、じつはこちらがお目当てなのだ。わくわく。


鳥山石燕『百鬼夜行拾遺』の「道成寺の鐘」

鳥山石燕は、この「道成寺の鐘」のページしか展示されていなかったので、少し残念。
もっと観たかったなあ。



狩野晴川院養信『百鬼夜行図』模本

江戸時代の人って、ほんと、妖怪好き。
想像力豊かだ。


歌川国芳『百物語化物屋敷の図』
                    
国芳の『百物語化物屋敷の図』の「林屋正蔵工夫の怪談」。
百物語を終えたとたん、妖怪たちが一斉にあらわれたところの画。
初代林屋正蔵(五代目より「林家」となる)は、怪談を得意とした噺家で、この「化物屋敷」は彼が考案したとされている。
やっぱり、国芳の妖怪画は冴えてる。
怖いというよりも、どこかひょうきん。




国芳『狐ばなし』
これも国芳の妖怪画。                 
左奥の狐の頭に藻が載っているのは、九尾の狐「玉藻の前」に由来するのだろうか。




博物図譜の「河童」
                          
江戸時代の博物図鑑では、「河童」はヘビ類とヒキガエル類の間と、魚類に収められていた。
ということは、実在すると思われていたのだろうか……?



『上方震下り瓢盤鯰の化物』

地震に悩まされるのは、今も昔も変わらない。



狩野曇川『不動利益縁起絵』
            
陰陽師・安倍晴明による祈祷を描いたもの。
奥にいるのが疫病神、晴明の後ろに控えているのが式神だろうか。



国芳『天狗の往来』


『博物館できもだめし』展は子供用の企画だったらしいが、けっこう楽しめた。

鳥山石燕展とか、もっとやってほしいな。