2010年4月24日土曜日

驚異の審美眼――細川コレクション永青文庫の至宝講演会


 『細川コレクション永青文庫の至宝』と題する市民講座に参加。
講師は永青文庫学芸員の三宅秀和氏。永青文庫と細川家の関係(十六代当主護立氏が財団を設立)から細川家の歴史、コレクションの解説など、充実した二時間だった。

 個人的には利休七哲のひとりである忠興(変な言い方だが「細川ガラシャ夫人の夫」というほうが一般にはわかりやすいかも)に興味があったが、歴代当主それぞれ非常に個性的で興味深い人たちだった。

 まず初代幽斎。長岡京を本拠地としていた幽斎は当時唯一の古今伝授の伝承者である。その幽斎の夫人が、北の政所や前田利家夫人のような、戦国時代特有の賢夫人だったというのも面白い。

 2代忠興で興味深かったのが、15歳で合戦デビューしたときのこと。松永久秀の家臣・森秀光が立て籠る城に真っ先に攻め入った武勲を信長に称えられた。

 そのとき信長から送られた感状が、現存する信長唯一の自筆書状となって今日まで伝えられているそうだ(重文に指定)。感状の文面も余計な前置きは一切なく、要点だけを簡潔に述べているところがいかにも信長らしい。

 江戸時代に入り、熊本藩主となった細川家。8代の重賢は博物学に傾倒する。植物標本や日本初の昆虫変態観察記録など、緻密に描かれた美しい図鑑の数々。

 リンネとほぼ時を同じくして、日本にもリンネのような人がいたとは、なんとも驚きである。
 
 リンネの弟子のツンベルクが出島に赴任したのが1775~76年。その目と鼻の先でこのような博物学者が城主となって一国を治めていた。二人が会見したという記録は歴史には残されていないが、もしも二人の邂逅が実現していたなら、日本とスウェーデンとの間に博物学をめぐる交流が生まれていたかもしれない。

 明治期に永青文庫の基盤となる財団を設立した16代護立は稀代の趣味人だった。

 十代の時に「おこづかい」で初めて買った刀剣が現在国宝に指定されているというのだから、その天才級の審美眼にはただただ驚かされる。細川家のDNAプラス幼いころから名品に囲まれて育ったという環境要因も大きいのだろう。
 横山大観や菱田春草をはじめ、数多の芸術家の才能をいち早く見抜き、あるいはパトロンとなって活動を支えた。

 やはり優れた芸術が花開くには、財力と審美眼を備えた人がパトロンとなって育てていくという素地が大切なのだとつくづく思う。

 大衆芸術もいいけれど、やっぱり「安っぽい」。富の集中や格差社会って問題視されるけれど、芸術的観点から言うと、真の教養を備えた人物に富が集まり、その人が芸術家の才能を見抜き、サポートしていくなら一向に構わない、というかその方が望ましいというのが個人的な意見である。

 NHKの協賛で行われた今回の市民講座には、参加者に展覧会の招待券が進呈されるという特典まで付いている。講義のあとに鑑賞するというスタイルは、なんだか学生時代のよう。今回の講座を企画した市の職員の皆さん、NHKさん、そして講師の三宅さん、多謝!