2011年4月20日水曜日

六ヶ所村ラプソディー

        
福島原発で水素爆発が起きてから、ひと月以上が経過した。
この事故をきっかけに、全国各地で一大反原発運動が巻き起こり、活発な議論が交わされることだろうと期待していた。

……たしかに、多くの都市で反原発デモが展開されている。

しかし肝心の、原発のある市町村はどうかというと、一部の人を除いて、多くの人は「ちょっと不安だけれど、まあ大丈夫だろう」といった対岸の火事的な態度に徹しているように見える。


自由や権利と同様に、「安全」もみずから勝ち取るものだと、この事故をきっかけに思うようになった。

それなのに、彼らはなぜ立ち上がろうとしないのか。
なぜそれまでに、福島で起きていることを他人事のように思えるのだろう?

その疑問に少なからず答えてくれたのが、鎌仲ひとみ監督のドキュメンタリー映画『六ヶ所村ラプソディー』と、彼女の著書『六ヶ所村ラプソディー~ドキュメンタリー、現在進行形』だった。

六ヶ所村ラプソディー 予告編 
http://www.youtube.com/watch?v=Dxud6TBZgwI
(夢ねこが、敬愛&心酔している小出裕章先生も出演!)

仲監督は、著書の中でこのように書いている。

六ヶ所村はもともと農地開拓から取り残された地域だった。寒冷地に加えて冷たいヤマセが冷害を起こして、米作には向かない土地だった。しかし、戦後、満州や樺太から引き揚げてきた開拓民にとっては最後に残された土地だった。六ヶ所を開拓した人々の辛苦は並大抵ではなかっただろう。当時、現金収入がほとんどなかった自給自足の貧しい農家に、開発側から土地代として途方もない札束が支払われた。」

百姓が現金を手にできるのは一年に一度、収穫の時だけだ。それも冷害になればほとんど収入がなくなってしまう。それに比べてサラリーマンになれば、毎月定収が入る。こんないいことはない、というのだ。」


六ヶ所村とて最初から無抵抗に原燃の再処理工場を受け入れたわけではない。反対派と推進派の間で激しい攻防が何年も続いた結果、カネと権力の前に反対派が屈した。


鎌仲監督は言う、
「六ヶ所村の反対運動の敗北は、圧倒的な権力と資本が周到に準備をした結果であり、その背景にあるのは、メディアがその役割を十全に果たさなかった結果としての、国民の無関心であった」


「核燃サイクルの意味よりも、それがもたらす利益や、国策という権威が大きく影響を与えたはずだ。六ヶ所村の選択ではなく、国民全員の無意識の選択だったといい変えることもできるはずだ。開発こそが経済成長を支えるとほとんどの国民が信じていた時代だったのだ。そしてこの間、六ヶ所村住民は、農業でも漁業でも生活を成り立たせることは不可能になり、巨大な資本が投下された核燃サイクル基地の建設で収入を得るようになっていった」



過酷な環境に住み、戦後の「開発」の嵐の中で土地を奪われ、職を失った人々がサバイバルの果てにつかんだ仕事が、放射線管理区域内の仕事、つまり「被曝労働」だったと鎌仲監督は語る。


こうした状況は六ヶ所村だけでなく、原発を抱える他の市町村でも大なり小なり同じかもしれない。


小出先生監修の『日本を滅ぼす原発大災害』によると、

原発が立地する自治体には「電源三法」にもとづいて、巨額の交付金が支給されるという。

過疎化が進み、深刻な雇用不足に悩む市町村がこうした原発マネーに依存するのも、ある意味では無理からぬことなのか。

補助金を受け取った律義で純朴な人々は、もうそれ以上、原発に反対することも、異を唱えることもできなくなる。

不安や危険を察知する心の声に耳をふさぎ、「絶対安全です」という電力会社の言い分を願望とともに飲み込み、あとはひたすら無感覚になるのだろう。


本当に、彼らはそれでいいのだろうか。

リスクを負わずに、原発による電力の恩恵だけを享受する都会の人々と、その電力を使うことなく(補助金や雇用という恩恵は享受するが)リスクを負う原発市町村の住民。

そこには同じ日本人でありながら、都会に住む人々と僻地に住む人々との間で、命の重さや健康の重要性についての格差、もっといえば「差別」が存在するのではないのか。

本当にそれでいいのか。
「誰かが誰かの犠牲になる」という構図が存在していいのだろうか?



福島での事故をきっかけに、世論は反原発に一気に傾くものと思っていた。

だが残念ながら、最新の世論調査によると、反原発派は41%にすぎず、「原発を増やすべき」と答えた人が5%、現状維持と答えた人が51%だったそうだ。


では、わたしたちはどうすればいいのか。

貴重なドキュメンタリー番組『なぜ警告を続けるのか 京大原子炉実験所“異端”の研究者たち』の中で、小出先生はこのように述べている。



「原子力を選ぶか選ばないかというのは、科学者だけの問題ではなく、1人ひとりの人たちがどういう生き方、どういう地球をつくりたいかという問題ですから、みなさん、1人ひとりが考えていくしかないのです」、と。


エネルギーの問題は、生活や生き方に直結する。
わたしたちが現実を直視して、自分で情報を集め、自分で考え、自分で判断し、自分で自分の生き方を選択していくしかないのだ。