2012年2月26日日曜日

ブールデルと『昔日の客』

わずかでも金があれば、わたしは本を買う。それでも残ったら、食べ物と服を買う。
                             ――エラスムス

エミール=アントワーヌ・ブールデル《弓をひくヘラクレス》

最近、愛書家や書痴にまつわる本を翻訳したので、参考文献として、ビブリオマニアたちの著作を読み漁った。

蔵書狂にまつわるエピソードには凄まじいものがある。
なかには、本をため込み過ぎて家の土台に亀裂が入り、建物が傾いたビブリオマニアや、地震で本の山が崩れて生き埋めになったビブリオマーヌの挿話も混じっていた(ジョン・ダニングの『愛書家の死』に描かれていたフィクションだが、そういう蔵書狂が実在してもおかしくない。)



そうした参考図書のなかに、以前から気になっていた書籍があった。
『昔日の客』(関口良雄著、夏葉社)という、作り手の愛情を感じさせる世にも美しい布装の本だ。
山高登の木版画の口絵にも、美味なる手触りの上質の紙が使われている。


「昔から、文章は人格の現れであると云われておりますが」と谷崎潤一郎もいっているが、山王書房という伝説の古書店の主(あるじ)が書いたこのエッセイ集からは、関口良雄の気難しくもあたたかい、老若男女を惚れされる、じつに魅力的な人柄がひたひたと滲み出てくるようだ。
虚飾や衒いや技巧を微塵も感じさせない、無駄な力を抜いた、じんわりと味わい深い文章。
ほんとうの名文とは、こういうものだろうかと思ったりもする。


数々の文士や市井の本好きたちとの本を介した交流のなかで、とくに心に残ったのが、タイトルにもなった「昔日の客」こと、野呂邦暢とのエピソードだ。


高校卒業後、上京してガソリンスタンドで働いていた野呂邦暢は、山王書房に足しげく通っていたという。そのときの様子は、野呂邦暢随筆選『夕暮の緑の光』にくわしく描写されている。



「給料は食べてゆくのがやっとだったので、私がそこで古本を買うのは月に二、三回もなかったと思う。それも三十円内外の文庫本ばかりである。長いこと立ち読みをしてあれこれと思い惑ったあげく、清水の舞台から飛び降りるような悲愴な覚悟をして買おうと決めるのだ。なるべくおかみさんが店番をしている時に買った。値切りやすかったからである。癇癪持ちのように見える主人にたいしては、まけてくれと言い出しにくかった。」


「ある日、つとめ帰りにS書房へ寄って文庫本の棚を物色していると、かねてから欲しいと思っていた本が並んでいるのに気がついた。上中下三冊が揃っている。ふところ具合を考えていつものように迷った。昼飯を何回か抜けば変えないこともない。(中略)さんざん迷った末に私はその三冊をおかみさんの方へ持って行って値切った。(中略)

 お客さん、それは困る……。おかみさんの後ろから主人が顔を出した。うちも商売だから、ぎりぎりの値段をしょっちゅうまけるわけにはゆかない、というのである。」



ここで、野呂の足はしばらく山王書房から遠のくのだが、半年あまりののち、野呂は九州に帰郷することになる。かねてから欲しかった高価な『ブールデル彫刻写真集』が山王書房の店先に陳列されていたため、野呂は意を決して、同書店を訪れる。


「ちょうど給料の四分の一にあたる値段であったと覚えている。当時は豪華本である。私は郷里に帰ることを主人に告げた。彼は黙って値段を三分の二にまけてくれた。餞別だというのである。私は固辞したけれどもいい出したらきかない相手だった。」



それから何年かのちに、野呂邦暢は『草のつるぎ』で芥川賞を受賞する。授賞式出席のために上京した際に、山王書房店主・関口良雄に電話をするのだが、関口のほうでは、あまり覚えていなかったらしい。『昔日の客』には以下のように記されている。



「本好きの野呂さんは、私の店によく本を買いに来た。或る時、小遣いが足らなくなって本を値切ったら、関口さんに大分叱られたと言って、その様子を細々と話すのだが、私にはどうしても思い出せなかった。(中略)私はふと、自分が大変うかつであったことに気がついた。たしか五、六年前だったか、僕は昔この店によく本を買いに来たことがあると言って、何冊かの本を買っていった人があった。(中略)そうだ、あの時、その人は野呂邦暢と言った。」

電話口で、関口は野呂から芥川賞の授賞式の会場に出席してほしいと言われ、喜んで出席を約す。授賞式では二人は直接言葉を交わすことはなかったが、数日後、野呂が妻を伴って、山王書房を訪れる。




「話の途中で野呂さんは、何かお土産をと思ったけれど、僕は小説家になったから、僕の小説をまず関口さんに贈りたいと言って、作品集『海辺の広い庭』を下さった。
その本の見返しには、達筆な墨書きで次のように書いてあった。

『昔日の客より感謝をもって』    野呂邦暢」                  




  
こうした書物を介したつながりがたまらなく好きだ。
それに、
「清水の舞台から飛び降りるような悲愴な覚悟をして買おうと決める」という野呂邦暢の言葉。
本を買うときは、かくありたいと心から思う。
「昼飯を何回か抜く」覚悟で欲しい書物を手に入れ、貪るように読んでみたい。
そして、無人島の一冊レベルの厳選した愛する書物だけに囲まれて暮らしたい。

そういうわけで、
(安易な方法ではあるが)本を一冊買うごとに一食抜く、というプランを実践することにした。
清水の舞台ほどではないにしろ、本を購入して読むことに、「切実さ」が欲しいのだ。
何かを犠牲にしてまで手に入れたいという切実さが。
プチ断食にもなるから、一石二鳥かもしれない。







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