2010年10月13日水曜日

東京大茶会番外編:茶席の二階に刀傷?

高橋是清邸1階で開かれた茶会が終わり、2階なども見学しました。

   ここで、日本の(そして世界の)歴史が大きく変わった事件が起きました。

         刀傷ではないかと言われている柱の傷。 
         実際には銃弾を浴びた上で、軍刀で肩を斬りつけられたという。


お孫さんを膝に抱いてやさしく微笑む写真。 せつなくて、涙が出そうになる。
彼が今の日本に生きていたら、どんな政治を、どんな金融政策おこなっていたのだろう……。


           高橋是清の一行書「不忘無(無を忘れず)」
 

    ちょっとわかりにくいですが、ゆがみのあるレトロなガラス窓。
    メンテナンスは大変そうだけれど、味わい深い。


ここから是清邸を出て、たてもの園内を散策。

まずは、三井八郎右衞門邸。

             エキゾチックな支那趣味の部屋。金ぴか。 


                 禅寺っぽい花頭窓。


                金箔の襖絵や額絵など。



      東ゾーンに移動。小間物屋(化粧品屋)だった村上精華堂。


    
      火鉢や卓袱台、階段下の古い金庫。こんなところに住んでみたい。


            神田須田町にあった武居三省堂(文具店)。


         大正時代に建てられた川野商店(和傘問屋)。


  和傘問屋の店内。大きな神棚があって、襖を開ければ奥まで続いていて、
  ここにも住んでみたい!  

   
   こちらは小寺醤油店の店内。味噌や醤油のほかにお酒も売っていたので、
   神棚も立派(お酒と神様は切っても切れない)。



     『千と千尋の神隠し』のモデルになったとされる有名な子宝の湯。


             昭和の下町っぽい路地裏。



      ミュージアムショップには、可愛い和小物がいっぱい!



              秋柄のてぬぐい。



        招き猫、かわいすぎ! 色によってご利益が違うのだそう。

    
   キューピーのコーナーも。 たくさんすぎて、ちょっとコワイ……?   
 
 
 
 
  
  

 
      


 

2010年10月10日日曜日

生物多様性について:アリの背中に乗った甲虫を探して

今月、生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)が開催される。


 国家どうしが決めることだから、おそらく議論の焦点は、経済的な問題(建前上は、薬用・食用など有用な生物資源の保全、実際のところは、生物資源の利益配分をめぐる先進国と途上国の対立)に向けられるのかもしれない。

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 本当のことを言えば(こんなことを言うとミもフタもないが)、生物の世界は人間が保全しようがしまいが多様なのであり、たとえ環境破壊が進んでも(つまり人間にとって住みにくい環境になっても)、おそらくそこは、一部の生物にとってはパラダイスとなるだろう。人間から見て荒れ果てた地球にも、多様な極限環境生物(彼らからすれば、人間のほうが「極限環境生物」だろう)が繁栄するにちがいない。

 そんな本当の意味での生物の多様性について語った翻訳書が、去年の暮れに出版された。

 原題は『Every Living Thing(生きとし生けるもの)』、邦題は『アリの背中に乗った甲虫を探して』(ロブ・ダン著、ウェッジ)。

 この「アリの背中に乗った甲虫」とは、肉眼では見分けのつかないほど、宿主のグンタイアリとそっくりの姿をした寄生甲虫のこと(こうすることで、宿主に食べられるのを防いでいる)。

 ほかにも、深海や地底に生息する微生物や、極限環境に生息する微生物、現在の生物の定義をはるかに超えた微小な生物(生物学の歴史では、生物の定義はつねに塗り替えられてきた)であるナノバクテリアあるいはナノンも登場する。

 そこには人間の独善的な利益を超えた、純粋に摩訶不思議な生物の世界が生き生きと描かれている。

 本書のもうひとつの魅力は、生物の新たな世界を発見した研究者たちの、じつに人間臭い素顔と「不屈の精神」だろう。

 新たな生物界の発見という輝かしい科学的功績は、神(そして神の代理者たる人間)を中心とした世界観・生物観を持つ欧米において、長いあいだ、神を冒涜する行為以外の何物でもなかった。

 人間こそが「神の代行者にして万物の中心」とする考えは、欧米社会に根強く残り(近年に発表された世論調査でも進化論を信じていると答えたのは米国人のわずか4割だった)、本書に登場する科学者たちはその偉大なる発見に対して、頑迷な抵抗や批判や嫌がらせを受けてきた。

 彼らはいわば異端児であり、孤独な革命児だった。そして狂気にも似た情熱を研究に注ぎ、あくなき探求心と鋭い観察眼を対象に向ける生粋の研究者でもあった。

 細胞内共生説を提唱したリン・マーギュリスは、非難の嵐にあっても「わたしは怖気づいたりはしない」と敢然と言い放った。

 19世紀の博物学者アルフレッド・ラッセル・ウォレスは、艱難辛苦の末に集めた膨大な数の生物標本を船の難破で失ったが、それでもなお標本を収集するために、海外へ再度旅立ち、そこで自然選択説を思いついた。

 全生物種カタログ化計画の推進者ダン・ジャンセンは、たび重なるプロジェクトの挫折にもめげず、新たに携帯DNAバーコード計画を始動させた。

 他にも、研究者として無名のまま長年こつこつと研究を続け、50歳手前で古細菌を発見したカール・ウーズや、アリの寄生ダニに自分の名前をつけて、見果てぬ夢を来世に託すカール・レッテンマイヤー、熱帯雨林の林冠にDDTを散布して大量の昆虫標本をつくり、その分類に自己完結的な悦びを見出すテリー・アーウィンなど、実直な生物学者からマッドサイエンティストめいた昆虫学者まで、多彩な顔ぶれが登場する。
 
 彼らの人間味あふれる生き様から浮かび上がってくるのは、輝かしい成功者のイメージとはかけ離れた、不器用で世事に疎い職人気質の科学者像であり、その姿は、この大不況の日本であえぐわたしたち(特にわたくし、不況その他の諸事情にあえぎまる夢ねこ)に生きる力を与えてくれる。

 成功してもしなくても、彼らはその道を選んだのだろう。彼らが彼らであるかぎり、そう生きるしかなかったのだ。彼らの功績は世に認められ、その名は歴史に残った。
 だがその影で、無名のまま消えていった研究者は山ほどいる。
 世に認められず消えていった彼ら名はもちろん歴史には残らなかったが、彼らとて、彼らが彼らであるかぎり、不器用なまでに研究に打ち込むしかなかったのだろう。それが無上の悦びであり、苦しみであったのだろう。 

 彼らの累々たる屍の上に生物学という学問が築かれていった。

 歴史に名を残した者も残さなかった者も、どちらの人生も豊かであったと、わたしは思う。


2010年9月26日日曜日

月見の茶会@入間市博物館アリット

お茶専門の博物館で開かれた月見の茶会に行ってきました。

     茶室「青丘庵」の縁側に飾られた秋草と月見団子。
     窓の外、画面右上には、まあるいお月さまが出ています。      

灯籠の明かりが幻想的。

外から縁側を見たところ。

                 
茶室へのアプローチ。

  
               寄付のお軸とお花。
        「白雲散尽し」のお軸。円相を満月に見立てています。
        画賛は前大徳寺明道和尚。
        お花は、ご亭主が生け花の先生もしていらっしゃるので、
        生け花風になっています。


    表千家のお席で、お手前は棚物・溜塗の二重棚でした。
    染付芋頭(近江百景文)の水差しと、平戸焼の白磁「宝尽し」の蓋置き。
    和ろうそくが、雅趣に富んだ茶室の雰囲気を盛り上げていました。
        
           本席のお軸とお花。お花は通草(あけび)。
        お軸は大徳寺孤蓬庵・小堀亮敬筆「心静長年楽」。
        花入れは唐物写し手付かご。
        アールヌーボー調のガラス器が通草のうねった風情と
        調和していて素敵でした。             
          
             茶器は竹溜塗「竹取物語」。
      月と竹とかぐや姫という、ロマンティックな取り合わせ。
      茶杓は小堀亮敬作、銘「庵の友」。
      青丘庵15周年のお茶会なので、お祝いの意味も込められています。

      お菓子は「山路の菊」という華やかな主菓子。
      お茶はもちろん狭山茶「明松」。
      狭山茶の抹茶はあまり飲んだことがなかったのですが、
      甘みがあってとても美味しかったです。          


                茶室のお庭。

              茶室の外の池。
       水面に映る灯籠の明かりが生みだす幽玄の世界。 

              池の上に浮かぶ月。   




          

2010年9月5日日曜日

カポディモンテ美術館展最終章:グアリーノの聖アガタ

 鮮血がにじんだ胸もとを抑えながら、こちらに挑発的なまなざしを向ける黒髪の美しい女。きりりと吊り上がった意志の強そうな眉と、凛とした口もと。乳房切断という深刻な傷を負ったばかりの女性のものとは思えない、神々しいまでに毅然とした態度と官能的な表情。いくつもの矛盾が交錯するこの絵は、見る者に強烈な印象を与える。

            フランチェスコ・グアリーノ『聖アガタ』   

 彼女はシチリアのアガタ、キリスト教の聖女だ。
 うら若き乙女アガタは、シチリア島を統治していた好色なローマ総督から言い寄られるが、自分は主イエスの花嫁であるからと、総督の申し出をきっぱりと断った。怒った総督は彼女を売春宿に入れて、彼女を堕落させようとする。アガタは客をとることを頑として拒んだため、投獄され、鉄鋏で乳房を切り取られ、さらに拷問を加えられた末に命を落とす。

 キリスト教の言い伝えでは、聖ペテロが彼女の前に現れて、胸の傷をいやしたとされている。だが実際は、ローマ時代、女性の処刑に先立って、強制売春などの形で精神的苦痛を味わわせたあと、乳房を切り取ることがよく行われていたというから、まったく陰惨で報われない話である。
 聖アガタのほかにも、聖アグネスや聖バルバラなど、多くの聖女たちが乳房を切断された。男たちのサディスティックな欲望を満たすために、このような拷問が慣習化していたことは疑うべくもない。

 聖アガタの絵は、乳房を載せたお盆を持つ着衣の聖女の姿で描かれることが多いが、なかには、セバスティアーノ・デル・ビオンボの『聖アガタの殉教』のように、2人の拷問者が左右から両乳首を鉗子のような拷問具で挟むといった、宗教画という名目で描かれたSM的な主題の画もある。

           セバスティアーノ・デル・ビオンボ『聖アガタの殉教』 

 そうしたアガタ像のなかにあって、今回展示されているグアリーノの『聖アガタ』は一度見たら忘れられない、独特の魅力を放っている。

 Sant’Agata Irpinaという、聖アガタの名にちなんだ地名を持つイタリアの小さな集落で生まれたフランチェスコ・グアリーノは、早い時期からこの聖女に特別な関心を抱いていたらしく、初期の作品のなかにも、『聖アガタの殉教』というタイトルで描かれたものが2つある。ひとつは、真っ赤に焼かれた石炭の上を転がされている図(聖アガタは実際にこのような拷問を受けたとされている)、もうひとつは、乳房を切り取られた図だ。この2つの絵は、地元の聖アガタ教区教会からの依頼で創作された。

 そして晩年(晩年と言っても、グアリーノは40代前半で亡くなっている)に描かれたのが、今回展示されている『聖アガタ』である。最初この絵は、グアリーノの師であるマッシモ・スタンツィオーネの作品と考えられていたが、近年の研究によってグアリーノの最高傑作であることが判明し、彼の再評価のきっかけとなった。
(スタンツィオーネの『聖アガタの殉教』も今回展示されていて、ちょっとした「師弟対決」となっている。)

 グアリーノが長年追い求めてきた聖アガタ像が心のなかで熟成し、彼以外の何者にも創造しえない形となってあらわれたのが、この『聖アガタ』といえる。

 超然とした表情をたたえながらも、どこか艶めかしく煽情的なグアリーノのアガタ。会場を飾る数多の名画のなかでも、彼女の射るようなまなざしは、とりわけわたしを惹きつけてやまなかった。

 

2010年9月3日金曜日

カポディモンテ美術館展:神はすべてを与え、すべてを奪いたもうた

 
 初秋であることを忘れるほど残暑の厳しい9月の初日、上野の国立西洋美術館で開かれている『カポディモンテ美術館』展に行ってきた。


 カポディモンテ美術館は、18世紀前半にナポリ王カルロス7世(ややこしいですが、のちのスペイン王、ブルボン家のカルロス3世のこと)によって建てられた宮殿がそのまま美術館になったもの。今回はルネサンスからバロックまでのイタリア絵画が展示され、夢ねこが大好きなマニエリスムの作品もたくさん来ているようなので、期待に胸をふくらませて、いざ中へ。

 展覧会は3部構成になっており、第Ⅰ部は「イタリアのルネサンス・バロック美術」だった。
 ここではおもに、パルマ公などを輩出したイタリアの名門貴族ファルネーゼ家が収集したルネサンスから初期バロックの作品が展示されていた。

 コレッジョ初期の作品『聖アントニウス』や、ガローファロ『聖セバスティアヌス』(例のごとく、矢がこれでもかというくらい突き刺さっている残酷美ともいうべき美青年の図)など、いかにもルネサンスらしい絵画が続いた後、いよいよパルミジャニーノやブロンツィーノといったマニエリスムの絵画が登場する。

 パルミジャニーノ(「パルマの若造」の意。本名はフランチェスコ・マッツォラ)の作品は、この展覧会の目玉でもある『アンテア』。
 結いあげた豊かな黒髪、ルビーと真珠の髪飾り、しっとりと潤んだ黒い瞳、彫刻のように端正な目鼻立ち、秀麗な柳眉、凛とひきしまった口元。彼女が今でも多くの人をひきつけてやまないのは、そのどこか東洋的で、洗練された現代的な美しさゆえであろう。金糸で織られた豪華なドレスは渋い輝きを放ち、緑の背景とともに、アンテアから漂う気品と神秘性を高めている。

 超ナルシストで同性愛者だったパルミジャニーノには、モデルに対する恋心も劣情もない。ただ純粋に、ひたむきにその美から霊感を得、その美を糧として理想の美をつくりあげ、それを絵として具現化したのだろう。 その透徹した冷たい美しさは、同画家が描いた『凸面鏡の自画像』を髣髴とさせる。











  


   画面に描かれた際の顔の向き、手を前に出すしぐさ(凸面鏡に映っているので自画像のほうも実際は左手を前に出している)、左手の小指にはめた指輪、光の当たり具合、整った目鼻立ち。2つの絵の類似性をあげればきりがない。

 だが究極の類似性は、パルミジャニーノが思い描く自分の理想の姿だろう。『凸面鏡の自画像』が、彼自身の美しさを「永遠の若さ」という形で表現したものならば、『アンテア』は自らの美しさを「女性」という形で表したものといえる。『アンテア』のモデルについては、高級娼婦や貴婦人など諸説あるが、それが誰であったにしろ、彼女はあくまで画家が女性像を描くために使った「鋳型」にすぎず、ほんとうのモデルはパルミジャニーノ自身だったのではないだろうか。

 パルミジャニーノは晩年、錬金術に凝り、まだ三十代だったにもかかわらず容貌が急速に衰え(不老長寿の秘薬を自分で試して失敗したからか?)、路上生活者になり果てて、37歳で夭逝した。
 変わり果てた自分の姿と、永遠に変わらない美しい自画像。ある意味、比類なき才能と美貌の二物を天から与えられた画家らしい最期といえるかもしれない。
              
             

カポディモンテ美術館展:死と乙女

 このコーナーには、同じく本展覧会の目玉となっているティツィアーノの『マグダラのマリア』もあった(最近、演出家で俳優でもある湯澤幸一郎さんの影響で「マグダラなマリア」と言いそうになる)。

 ティツィアーノの『マグダラのマリア』といえば、豊満な裸体バージョンが有名だが、今回の作品はそのおよそ30年後に描かれたもの(ティツィアーノは微妙に異なる『マグダラのマリア』を何枚も描いている。注文が多かったせいもあるだろうが、画家本人もこの主題をよほど気に入っていたらしい)。

    裸体バージョン。いかにも「罪深き女」といった風情でお色気ムンムン。
    持物の香油壺と、手を胸に当てて仰ぎ見る悔恨のポーズで
    マグダラのマリアとわかる。
            

                裸体バージョンからおよそ30年後に描かれた今回の展示作品。

 ポーズはほぼ同じだが、女性のシンボルである豊満な胸を隠し、若さの絶頂期を少し超えた、やや「翳り」のある女性をモデルに使うことで、より深い悔恨の情が表現されている。この着衣バージョンでは、左端に香油壺があるほかに、右側に頭蓋骨と書物が一種のヴァニタス(人生の空しさの寓意)として描かれている。つまり、メメント・モリ(死を忘れるな)の警句として、よりいっそう宗教的、というか説教じみた色合いを帯びているのが本作なのだ。
(裸体バージョンに髑髏を置いたほうが強烈な対比となって、魅力が増したように思ったりもする)。

 個人的には、『ウルビーノのヴーナス』のような官能的・挑発的で、かなりきわどい表現のほうが、ティツィアーノの魅力が際立つように思う(ゆえに彼の『マグダラのマリア』も裸体バージョンのほうが有名なのだろう)。
 
 このコーナーにはほかにも、建築家で美術史家(『画家・彫刻家・建築家列伝』の著者)のジョルジョ・ヴァザーリが描いた『キリストの復活』や、マニエリスムの極致『愛のアレゴリー(愛の勝利の寓意)』のブロンズィーノの作品『貴婦人の肖像』(『愛の寓意』は好きだが、彼のこの絵についてはあまり魅力を感じなかった)が展示されていた。

 アンニーバレ・カラッチの作品としては、
 十字架をいただく鹿を見てキリスト教に改宗するローマの将軍エウスタキウスを描いた『聖エウスタキウスの幻視』や、ベラスケスの『ラス・メニーナス』のような世界を描いた『毛深いアッリーゴ、狂ったピエトロと小さなアモン』(当時、「動物に近い人間」とされていた毛深い人間や侏儒が、サルやイヌやインコと一緒に描かれている)が印象に残った。

 また、ファルネーゼ家の名品として、金鍍金されたサイの角や碧玉でつくった杯(サイ角の杯は、インドの副王の親戚から贈られたものだそうだ)、宝石をちりばめた黒檀の小箱、翡翠輝石でつくられた聖杯、象牙や琥珀製の聖像など、精緻な工芸品も陳列されていた。

                                          

カポディモンテ美術館展:大理石の牧神

  
 グイド・レーニと聞いてすぐに思い浮かべるのが『ベアトリーチェ・チェンチの肖像』だ。ベアトリーチェの悲劇(近親相姦の関係にあった父親殺しの罪で斬首された)を知らなくとも、儚げな哀愁と諦念が漂いうこの絵は、見る者の想像力を刺激し、さまざまな物語を想起させる。
 実際、シェリーやホーソーンなど、多くの作家がこの絵から着想を得て作品を書いている(ちなみに、フェルメールもこの絵にインスパイアされて、あの『真珠の耳飾りの少女(青いターバンの少女)』を描いたという説もある)。



 上は、ナサニエル・ホーソーンの『The Marble Farn』の表紙になった『ベアトリーチェ・チェンチの肖像』。ちなみにこの邦訳版『大理石の牧神』(島田太郎・三宅卓雄・池田孝一訳、国書刊行会、1984年)の表紙は、ティツィアーノ『マグダラのマリア』裸体バージョンになっている。

 今回の展覧会では、そのグイド・レーニの傑作『アタランテとヒッポメネス』を目にすることができた。タイトルの通り、この絵はギリシャ神話の「アタランテとヒッポメネス」の神話にもとづく。その神話とは次のようなものだ。
 人間の中で最も足の速いアタランテは、自分と徒歩競争をして負けたら命を奪うという条件で求婚者たちに競争を挑み、彼らを次々と死に追いやっていた。そんなアタランテと結婚するために、ヒッポメネスは、アプロディーテから授かった3つの黄金のリンゴを競走中に投げる。アタランテがそれを拾うために足をとめたため、彼女は敗北し、2人はめでたく結ばれる。
 この話には後日談がある。結婚した2人は熱々のカップルになり、幸せな日々を送っていたが、ある時、ゼウスの神域で愛し合ったため、ゼウスの怒りにふれて、ライオンの姿に変えられたという(アプロディーテに感謝の供物をささげなかったからだという説もある)。 いずれにしろ、何やら教訓めいた後日談ではある。

 プラド美術館所蔵の同画家の作品に、同じ構図の絵があり、近年ではプラド美術館所蔵作品のほうが原作ではないかと言われている。

 どちらが原作であるにしろ、本作が素晴らしい絵であることに変わりはない。 とりわけ、アタランタとヒッポメネス、つまり男と女の肌の質感や肉付きの対比は素晴らしい。
 白く柔らかい、丸みを帯びたアタランテの肉体(下半身の非常に豊かなボリュームからは、彼女が神話的なまでに駿足だとは想像しがたい)と、かたく引き締まった均整のとれたヒッポメネスの身体(こちらのほうがいかにも俊敏そう)。 

 美男子で同性愛者だったとさえるグイド・レーニは、女性のみならず、男性の裸体の美しさをも知悉していた。 この絵でも、ヒッポメネスのみずみずしい美しさのほうが際立ち、より魅力的に描かれている。
(ただし、女性の腰回りのふくよかな肉付きは、当時としては美の象徴だったため、17世紀のイタリア人の目には、アタランテの肉体が非常に魅力的に映っていたのかもしれない。)

 第Ⅱ部の素描のコーナーを過ぎ、第Ⅲ部「ナポリのバロック絵画」の展示室に入った。
 その部屋で、本展覧会で最もわたしの心をとらえた美しい絵に遭遇することになる。


 

2010年9月2日木曜日

国立西洋美術館常設展:世紀末の世界へ

       ヒュースリー『グイド・カヴァルカンティの亡霊に出会うテオドーレ』

 この絵は、ボッカチオ作『デカメロン』の「ナスタジョ・デリ・オネスティの物語」を翻案した詩「テオドーレとホノーリア」にもとづいて描かれたもの。 ホノーリアに冷たくされたテオドーレが、森のなかでグイド・カヴァルカンティの亡霊に出会う。恋人からひどい仕打ちを受けたために自害したカヴァルカンティは亡霊となって、獰猛な犬たちにかつての恋人を襲わせて復讐している、というのがこの場面。

 写真では分かりにくいが、縦2.7メートル、横3メートル以上もある大画面になっていて、非常に迫力がある。復讐の鬼と化したグイド・カヴァルカンティの顔も怖いが、さらにインパクトがあるのが、大きな目をぎょろりとさせてテオドーレを睨みつける馬の表情だ。
 逃げるシカのような姿をした女性(まさに「カモシカのような脚」)の柔肌に鋭い爪を立てる犬たちは、邪悪な悪魔のように見える。 シカを狩るように女を狩るという男の怨念と、映画のような躍動感が画面いっぱいにみなぎっている。 こういう不気味さ、暗さは『夢魔』の画家、ヒュースリーならでは。 


       松方コレクションの指南役フランク・ブラングィンの『しけの日』


              ロセッティ『愛の杯』

 愛の情熱をあらわすかのような真っ赤なローブ。 「永遠」と「忠誠」を意味する常緑の蔦のハート形と「The Loving Cup(愛の杯)」のハートの模様がマッチしている。額縁下部には、「甘き夜、楽しき日/美しき愛の騎士へ」という銘文が刻まれ、いかにもラファエル前派らしいロマンティックな甘い香りが絵全体から漂ってくる。

            額縁下部に刻まれた銘文。      

                 モロー『牢獄のサロメ』  1873年

 じめじめとした暗く冷たい地下牢のなか。画面左奥では、ヨハネの首が今まさに斬りおとされようとしている。このむごたらしい斬首の場面とはまるで別世界にいるように、菩薩の思惟像のような瞑想的な風情をしたサロメが、床に置かれた盆を眺めている。そこにはやがてヨハネの首が載せられることになるだろう。 
 悲しみに沈んだ静かな表情を浮かべた聖女のサロメと、ヨハネの首を所望する悪女のサロメ。 矛盾した2つの顔を持つファムファタルを描いたこの絵は、世紀末的雰囲気を妖しく漂わせている。


               モロー『ピエタ』  1876年頃


           シャヴァンヌ『貧しき漁夫』

 このあいだの『オルセー美術館展』で来日した同名の作品は、横長の大画面で、岸辺で花を摘む少女と眠る赤ん坊が描かれていたが、こちらは縦長で舟上の漁夫と赤ん坊が主役。ジグザグにつながる舳先と岸辺の線が面白い味わいを出している。シャヴァンヌ独特の色づかいと静謐な空気感がいつ見ても素敵な絵。


                   ナビ派のボナールの『坐る娘と兎』

 縦長の画面や装飾性、渋い色調などジャポニズムの影響を受けて描かれた一枚。ウサギのモチーフも日本の影響なのだろうか。


      同じくナビ派のポール・ランソンの『ジギタリス』 1899年

  曲線を多用した草花の表現はアールヌーヴォー的で、ミュシャの絵にも通じるものがある。


            ナビ派が続くが、ドニの『踊る女たち』

 ドニお得意のミューズのプロフィール。楽器を持つ女性のモデルはマルトか?

            ハンマースホイ『ピアノを弾く妻イーダのいる室内』1910年

 ハンマースホイの絵には個人的にせつない思い出があって、この絵の雰囲気は心に秘めたその思いにしっくりと馴染みます。彼の絵は、未来を夢見るためではなく、過去を偲ぶための絵、思いを弔うための絵なのです。


          キース・ヴァン・ドンゲン『カジノのホール』 1920年
          

             藤田嗣治『坐る女』 1929年
 
 狩野派の障壁画のような金箔の背景と、白く繊細な女性の描線。フジタ・ワールド全開の一枚。


          エルンスト『石化した森』 1927年
   
 ドイツ・ロマン主義的な鬱蒼とした神秘の森が、グラッタージュ(幾層にも塗り重ねた絵の具をパレットナイフで削るもの)というシュールレアリスム的自動技法を使って表現されている。 
 森の魅力についてエルンストは「広大な空間のなかで呼吸する喜び、それとともにある、木々の檻のなかに閉じ込められているという苦悩の感覚、自由であり、囚われてもいる」と語っている。


       ジャン・デュビュッフェ『ご婦人のからだ(ぼさぼさ髪)』

 漆喰のような質感の絵画。デュビュッフェ自身はこれを「アッサンブラージュ(立体的なものの寄せ集め)」と呼んだ。