2010年9月3日金曜日

カポディモンテ美術館展:大理石の牧神

  
 グイド・レーニと聞いてすぐに思い浮かべるのが『ベアトリーチェ・チェンチの肖像』だ。ベアトリーチェの悲劇(近親相姦の関係にあった父親殺しの罪で斬首された)を知らなくとも、儚げな哀愁と諦念が漂いうこの絵は、見る者の想像力を刺激し、さまざまな物語を想起させる。
 実際、シェリーやホーソーンなど、多くの作家がこの絵から着想を得て作品を書いている(ちなみに、フェルメールもこの絵にインスパイアされて、あの『真珠の耳飾りの少女(青いターバンの少女)』を描いたという説もある)。



 上は、ナサニエル・ホーソーンの『The Marble Farn』の表紙になった『ベアトリーチェ・チェンチの肖像』。ちなみにこの邦訳版『大理石の牧神』(島田太郎・三宅卓雄・池田孝一訳、国書刊行会、1984年)の表紙は、ティツィアーノ『マグダラのマリア』裸体バージョンになっている。

 今回の展覧会では、そのグイド・レーニの傑作『アタランテとヒッポメネス』を目にすることができた。タイトルの通り、この絵はギリシャ神話の「アタランテとヒッポメネス」の神話にもとづく。その神話とは次のようなものだ。
 人間の中で最も足の速いアタランテは、自分と徒歩競争をして負けたら命を奪うという条件で求婚者たちに競争を挑み、彼らを次々と死に追いやっていた。そんなアタランテと結婚するために、ヒッポメネスは、アプロディーテから授かった3つの黄金のリンゴを競走中に投げる。アタランテがそれを拾うために足をとめたため、彼女は敗北し、2人はめでたく結ばれる。
 この話には後日談がある。結婚した2人は熱々のカップルになり、幸せな日々を送っていたが、ある時、ゼウスの神域で愛し合ったため、ゼウスの怒りにふれて、ライオンの姿に変えられたという(アプロディーテに感謝の供物をささげなかったからだという説もある)。 いずれにしろ、何やら教訓めいた後日談ではある。

 プラド美術館所蔵の同画家の作品に、同じ構図の絵があり、近年ではプラド美術館所蔵作品のほうが原作ではないかと言われている。

 どちらが原作であるにしろ、本作が素晴らしい絵であることに変わりはない。 とりわけ、アタランタとヒッポメネス、つまり男と女の肌の質感や肉付きの対比は素晴らしい。
 白く柔らかい、丸みを帯びたアタランテの肉体(下半身の非常に豊かなボリュームからは、彼女が神話的なまでに駿足だとは想像しがたい)と、かたく引き締まった均整のとれたヒッポメネスの身体(こちらのほうがいかにも俊敏そう)。 

 美男子で同性愛者だったとさえるグイド・レーニは、女性のみならず、男性の裸体の美しさをも知悉していた。 この絵でも、ヒッポメネスのみずみずしい美しさのほうが際立ち、より魅力的に描かれている。
(ただし、女性の腰回りのふくよかな肉付きは、当時としては美の象徴だったため、17世紀のイタリア人の目には、アタランテの肉体が非常に魅力的に映っていたのかもしれない。)

 第Ⅱ部の素描のコーナーを過ぎ、第Ⅲ部「ナポリのバロック絵画」の展示室に入った。
 その部屋で、本展覧会で最もわたしの心をとらえた美しい絵に遭遇することになる。