2010年7月27日火曜日

スペイン趣味とレアリスム:1850-60年代

(前回からのつづき)
             
 第Ⅰ部は「スペイン趣味とレアリスム:1850-60年代」。

 この時期マネは、当時流行していた「スペイン趣味」の洗礼を受け、スペイン的な主題を描いた作品を数多く残している。 
 特に印象深いのが『死せる闘牛士』http://www.museumsyndicate.com/item.php?item=3840や『闘牛』
http://www.museumsyndicate.com/item.php?item=3780 などの闘牛シリーズ。

 1965年秋、ゴヤやエル・グレコ、ベラスケスら巨匠たちの作品を見るために、マネは単身スペインを訪れたが、スペインの風土と食事が合わなかったため、わずか10日間でパリに戻っている。その間、闘牛場に何度か足を運んではスケッチにいそしみ、帰国後には、それをもとに残虐かつドラマティックな闘牛シーンの作品を描いた。

 マネが描く闘牛場のシーンは、スペイン特有のあのギラつく日射しと、観客席から立ちのぼる血に餓えた興奮と熱狂、死と栄誉の狭間で敗れた闘牛士の無残な骸(むくろ)が強烈な対比として描かれている。

 いっぽう、『死せる闘牛士』は、もとは『闘牛場での出来事』という群像を描いた作品を、闘牛士の骸だけを切り離したもの(切り離されたもう片方の作品には、まるで闘牛士が復活したかのように、緊迫した闘牛シーンが描かれ、別の作品として仕上がっている)。
 人々の興奮や欲望、憤る牛といった「動」の部分をすべて取り除いた『死せる闘牛士』の画面を支配するのは、完全なる「静」であり、厳粛な死の世界である。 肩幅が広く、胸板の厚い、まだみずみずしい充実した肉体を感じさせるその屍は、一瞬をついて訪れた「死」という厳然たる現実を際立たせている。

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 この時期マネは、お気に入りのモデルのひとり、ヴィクトリーヌ・ムーランと出会う。

 1862年、最高裁判所前の広場の人ごみのなかで、マネは不思議な魅力を持つひとりの女性に目を留めた。以来、マネが引き出したヴィクトール・ムーランの強烈な個性と、マネの斬新な画風と色彩感覚とが相まって、『草上の昼食』(1863年)や『オランピア』(1865年)など、時代を象徴するセンセーショナルな名画が次々と生み出されていった。

 今回の展覧会では、(パンフレットの表紙画にも使われているように)ベルト・モリゾがヒロインとなっているため、ヴィクトリーヌ・ムーランは脇役に徹しているというか、ムーランがモデルになっている作品は少なかった。
 そんななか、珍しく、それほどスキャンダラスではない画題で描かれていたのが、『街の女歌手』だ。http://www.museumsyndicate.com/item.php?item=3857(この画像では赤っぽく写っているため、原画の見事な色彩が映し出されていないのが残念。)
この絵はもともとマネが、ひとりの女性を街角で見かけて、モデルになってほしいと声をかけたが断られたために、ムーランが代わりを務めたものだが、着衣のムーランをモデルにした絵のなかでは最も美しい作品だと思う。

 黒い背景のなかに浮かぶ、暗く渋い緑のドレス。 ドレスの黒い縁取りと、黄色い包み紙、ルビーのように赤いサクランボが、じつに効果的に配され、ムーランの意志の強そうな個性的な顔立ちを引き立たせている。マネの絶妙な色彩感覚を物語る一枚だ。


 このコーナーには、マネの日本趣味が存分に生かされた『エミール・ゾラ』http://www.museumsyndicate.com/item.php?item=3812 や、気球や大道芸人など、いかにも19世紀後半のパリらしい風物を描いたエッチングやリトグラフ、淡彩画も展示されていた。  (つづく)