2010年7月28日水曜日

聖女か悪女か:モリゾとムーラン

                         渡り廊下から見た美術館の中庭。

           廊下の窓から見下ろしたカフェのある中庭。 

(昨日のつづき)

第二部には、この展覧会の目玉でもあるベルト・モリゾをモデルにした作品がいくつか展示されていた。 いずれも黒衣のモリゾだが、印象はかなり異なる。

 1868年(日本では明治維新が起きた年)、マネは、ルーブル美術館でルーベンスの模写をしていたモリゾに出会う。それから4年後に描かれたのが、、マネの最高傑作のひとつ、『すみれの花束をつけたベルト・モリゾ』http://www.museumsyndicate.com/item.php?item=3774。 お嬢様育ちで、画才に恵まれたモリゾの、愛らしくも高貴なまなざしと、無垢で清らかな美しさを見事にとらえた作品だ。 

 帽子もドレスもスカーフも、全身黒ずくめで、黒を多用しているのにもかかわらず、斜めから射し込む光とモリゾの穏やかなみずみずしさのおかげで、暗さをみじんも感じさせない。それどころか、画面は夢や希望や生気であふれている。 あどけない表情で描かれているが、このときモリゾはすでに30代。 モリゾそのものの姿というよりも、画家がとらえた彼女の若々しく愛くるしい印象が描かれているのだろう。

 実際、彼女自身の性格はどちらかというと、神経質で、しばしば鬱症状にも悩まされていたらしい。 そうした彼女の内面の奥深さや苦悩を垣間見ることができるのが、『扇を持つベルト・モリゾ』だ。http://www.fineartprintsondemand.com/artists/manet/berthe_morisot_holding_a_fan.htm『すみれの花束をつけた』からわずか2年後の作品だが、まさに黒衣の婦人というべき、憂いをたたえた大人びた表情で描かれている(このときモリゾは33歳なので、おそらくこちらの絵の方がモリゾ本来の姿に近いのかもしれない。ちなみにモリゾ自身は、同じく今回展示されていた『横たわるベルト・モリゾの肖像』を、「最も自分に似ている作品」と語っている)。

『すみれの花束をつけたベルト・モリゾ』はいつまでも見ていたくなるような素敵な絵だが、ややアンニュイな雰囲気を持つ『扇を持つベルト・モリゾ』のほうに、わたしはより魅力を感じるようだ。

 マネとベルト・モリゾとの関係については、恋仲であったとか、いろいろ取り沙汰されているが、本当のところはどうだったのだろう。 マネにとってモリゾは大切な存在だったし、絵からも彼の彼女に対する慈愛の情が伝わってくる。 

 だが、どちらかといえば(これはわたしの勝手な想像であり、願望でもあるが)、モリゾはマネにとって愛おしくも、犯しがたい女性であり、画家としても尊敬すべき相手だったのではないだろうか。 二人の関係がプラトニックなものにとどまっていたからこそ、モリゾはマネの弟、ウジェーヌと結婚して幸せな家庭を築くことができたし、ウジェーヌも彼女の夫として、そしてモリゾの絵の最大の理解者として、結婚後も彼女の創作活動を応援し続けたのではないだろうか。

 いずれにしろ、モリゾは裕福で満ち足りた家庭生活を送りながら、自分の姉や娘をモデルにした温かみのある作品を数多く残している。

 いっぽう、マネが最も愛したもうひとりのモデル、ヴィクトリーヌ・ムーランも画家を志し、1876年にはサロンに入選するが、その後は酒に溺れ、困窮した生活を送ったという。 なんとなく「モンパルナスのキキ」ことアリス・プランを髣髴とさせるエピソードだ。 時代を切り拓いた芸術家のミューズたちの悲しい末路。 だからこそ、朽ちて滅びていく前のその煌めく姿を映しとった作品――画家が切り取ったモデルの人生の一瞬のかけら――には、名状しがたいある種の生命力のようなものが宿っているのかもしれない。     (つづく)