2011年8月27日土曜日

東博表慶館

表慶館内部。ここは建物自体が芸術品。
                    


明治42年築の外観


アールヌーヴォー様式を取り入れた優美な階段
 

ここはアジアンギャラリーになっていて、信じられないくらいガラガラ。
ほとんど二人占め状態だった。
(というか、全体的に東京から人がいなくなっているように思うのは、気のせいだろうか……。)


ガネーシャ(カンボジア・アンコール時代)がお出迎え

    
ナーガ上の仏坐像(カンボジア、アンコール・トム)

釈迦が悟りを開いた後、瞑想をしていると、嵐が起きた。そこへ「ムチャリンダ」という竜王があらわれて、自分の体を釈迦に巻きつけて、釈迦を七日間、風雨から守り続けたという伝説を図像化したもの。
ベルトルッチの映画『リトル・ブッダ』にもそんな場面があったような記憶が……。



交脚菩薩像(クシャン朝、パキスタン)

彫りの深い、端正な顔立ちの典型的なガンダーラ仏像。
未来仏である弥勒菩薩は、キリストやミトラ神とも同一視される興味深い存在だ。



如来坐像(パキスタン、クシャン朝)
                                   
ギリシア彫刻の影響を受けたガンダーラ仏だが、ギリシア的な筋肉質で肉感的な表現は削ぎ落とされ、禁欲的で深い精神性をたたえた造形となっている。




加彩女子俑(前漢)
                                 
細身の女性像。
唐時代には豊満な女性が美人とされたけれど、漢代以前は西施や貂蝉など、細身で撫で肩の女性が美人だった。
現在の美意識と似ていたのかもしれない。
            
                

2011年8月15日月曜日

玉堂美術館

                            
 もつれつつ戀する蝶のくるほしく山峡ふかく落ちてゆくなり    偶庵


レトロな御嶽駅 電車は1時間に数本

御盆休みの週末、人ごみを避けて青梅の玉堂美術館へ。
駅を降りると(御嶽駅に降り立ったのは初めて!)、そこは東京とは思えない山紫水明の地でした。


川遊びに興じる人たち

カヌー(カヤック?)も楽しそう~


ボートで渓流下り


美術館対岸の料理旅館「河鹿園」
 

蝉時雨のなか橋を渡って少し行くと、川沿いに趣のある美術館が見えてきました。



戦時中に奥多摩に疎開していた川合玉堂は、都内の自宅が戦災により焼失したことから、御嶽に定住し、新居を「偶庵」と名づけたそうです。

「偶庵」とは、「偶々(たまたま)、多摩(たま)に住んだ」ことに由来するもので、一種のおやじギャグ(?)ですね。それが、歌人・俳人であった玉堂の雅号にもなっています。


この美術館は、玉堂没後4年の昭和36年に、彼の人柄を偲ぶ地元の有志と、全国の愛好家たちの寄付によって建てられました。
寄贈された土地に建つ美術館の建物は、数寄屋建築家の吉田五十六が無償で設計したとのこと。
玉堂の芸術と人柄を愛する人たちの思いと熱意がこめられた美術館なのです。



行幸啓記念碑


最初に入った展示室には、《夏雨五位鷺》や《夏川》、《江畔夏夕》など、収蔵品の中でも夏らしい作品が紹介されていました。

玉堂は水の表現が、特に渓流や滝や波などの動きのある水の表現が実に巧みな画家です。
「みずからまず水になって描けば水になり……」と画家自身が語っています。


今回、夢ねこが特に気に入ったのが、《瀑布》という作品。

これは縦2メートル以上もあろうかという大作で、その画をひときわ高く掛けてあるため、ほんものの滝を見上げるように滝の画を見上げつつ、流れ落ちる水しぶきとともに神々しい「気」のようなものを全身に浴びているような気分になります。

玉堂は、雪などを描くときに「何も塗らない」ことで雪の白さを表現しているのですが、この《瀑布》でも、水が滝壷に落ちるあたりの白さは、おそらく色を塗らずに紙の白さを生かしているように思われました。

夢ねこは学生時代、大学近くの箕面の滝をひとりでぼうっと見上げたものですが(アルファ波のおかげでしょうかヒーリング効果満点なのです)、玉堂の《瀑布》も、いつまでも心を空っぽにして見つめていたい滝でした。



《瀑布》のほかにも、玉堂が16歳の時に描いた写生帖が公開されていました。

駒鳥や銭葵、野イチゴなどが実に美しく緻密に描かれていて、写生というレベルではなく、これだけで動植物図譜としてひとつの独立した作品になりうる見事な画帖です。
若干16歳でこれを描いたとは、まさに天才、恐るべし。


第1展示室を出ると、枯山水の庭園が見渡せます。

庭園の向こうからは清流のせせらぎが


美術館の渡り廊下

第2展示室では、おもに偶庵たる玉堂の俳画や歌画を味わうことができます。

たとえば、《わが庵》。
青竹の絵の画賛に「わが庵は藪蚊を多み馬のごと足を蹴りつつ顔洗ふなり」という歌が詠まれていて、玉堂のお茶目な人柄が偲ばれます。

ほかには、《ひよどりの声》では、松葉の絵に「むかつをの雲をいまかくわが雲のあひかふあたりひよどりの声」の画賛、《打水》では、撫子と夏草の絵に「今朝もまた暑くなる陽のさしいりて 打水の球 葉ごとにひかる」など、自然とともにある日々の暮らしが衒いなく詠まれています。

自由闊達で飄々とした作風であるがゆえに、画と書と詩(短歌・俳句)が三位一体となった詩書画三絶の境地を垣間見た気がしました。
(真の三絶とは、かように技巧を感じさせない、さりげないものかもしれない。そう思うと、写真の中の玉堂の姿が仙人のように見えてきた。)



復元された玉堂の画室


玉堂は絵の具をすべて自分で溶いたそうです。

玉堂は生前、『多摩の草履』や『山笑集』、『若宮抄』といった句集・歌集を出していますが、それらは現在、美術年鑑社から刊行された『多摩の草履』にまとめられ、未定稿だった絶詠も収められています。


 寝返りをしても障りの無き迄に歌の手帖に構図す我れは     偶庵


昭和32年6月上旬、享年84歳でした。
                             



             

終戦の日に



                     
今年の終戦の日と原爆の日には、これまでになく、いろいろなことを考えさせられた。

開戦の道のりや大本営発表、恐るべき楽観主義など、原発事故と重なる部分が多いからだ。

言葉は無力かどうかは分らないけれど、いまの自分にはこの気持ちをうまく表現するのは難しい。
原発事故で苦しむ人たちの姿をテレビなどで見ると、ただただ、感情がとめどなくあふれてきて、号泣するばかりだ。
贖罪や無力感、自分を含めた人間の無知や愚行については、3月のブログに散々書いたが、言葉で表現しきれないもどかしさがあった。

しっくりくる言葉や作品に出会うことなく、わたしの感覚は少数派だと思っていたところ、「短歌研究7月号」に掲載された水原紫苑さんの歌が、この想いを見事に代弁してくれていた。

以下に紫苑さんの作品の一部を紹介する。


言葉最(もと)も無力なるとき名を問はれいのちを問はれ未来問はるる  水原紫苑 

惜しみなく神は奪ふをひたすらに見るよりぞなきまなこ罪在り        以下同

まがつ火を北に負はせてぬばたまの首都死のごとく明るかりにき     

アトムの子われら蒙昧の民にして官・産・学の輪を知らざりき

たれも見ぬ山の桜のちりぎはに暴悪大笑面あらはれぬ

無知は死に値せる罪あやまちは繰りかへされぬわが無知をもて


さらに紫苑さんは、次のようなコメントを同誌に寄せている。

「あの日から異なる次元に入った私たちは、どこへ行くのか。どこへ行ったらいいのか。(中略)私は、既に若くはないが、年老いてもいない。遺された時間を、今生まれ出た嬰児のような思いで、光と闇を手で探りながら、生きてゆきたい。」



もとより未来は予想できるはずはない。
不確実性に満ちた世界で、
人は「過去に似た未来」があるという幻想を抱いて生きていただけだ。
自分の未来、世界の未来を思い描くことのできた日々は終わった。

何も見えない時代。
それでも、残された時間を手探りで生きていくしかない。

                      

2011年7月10日日曜日

東京国立近代美術館・日本画の名品

近代美術館の常設展では四季に合わせた作品が展示されています。
特に日本画は季節感豊かなので、夏の涼をひととき楽しむことができました。



上村松園《新蛍》1944

涼やかな青磁色の着物に赤い献上柄の博多帯。
夏らしい青灰色を基調としつつ、唇の紅や襟裏と袖口の紅絹の色など、赤のスパイスを利かせて、画いを若々しく引き締めているところに、松園の絶妙な色彩センスがあらわれています。



太田聴雨《星をみる女性》1936

七夕祭りで有名な仙台出身の画家の作品。  
白地の中振袖を着た娘たちが、当時としては最先端の技術だった天体望遠鏡をのぞくという、ユニークな主題を扱っています。

望遠鏡の細長い線と、レンズをのぞく女性のたおやかでほっそりとしたスタイル、長い振袖など、縦のラインを多用することで、すっきりとした涼しげな画面構成に仕上げています。
無機的な機械装置を登場させているにもかかわらず、ロマンティックな雰囲気が漂う素敵な画でした。




鏑木清方《墨田河舟遊》1914
    
大名一家の舟遊びの光景を描いた作品です。
写真は人形遣いが奥方たちの前で上演している場面。
ほかにも、歌妓や猿まわし、網打ちや物売りなど、江戸の夏の風物詩が賑やかに描かれています。




下村観山《大原御幸》1908

大原の寂光院に健礼門院を訪ねた後白河法皇。
訪問の成り行きについては諸説ありますが、観山のこの画では、わびしい山里の庵での対面がしっとりと描かれています。




鏑木清方《目黒の栢莚(はくえん)》1933

庭の草花を愛でながら、床の上で夕涼みをする夫婦と侍女(?)。

画賛には以下のように記されています。


ほととぎすほととぎすとて起こしけり    翠扇

杜宇ほぞへかけたか目黒道        錦女

花ばたけの前に床を据えて
翠扇は錦女にしらがぬかせ 
予は茶をのみてたのしむ          老の楽


節電の夏ですが、こんなふうに優雅に暑気払いができるといいですね。
いにしえの人を見習いたいものです。



下村観山《唐茄子畑》1911


日本画の画題には夏野菜も登場します。

どうも様子が違うなあと思ったら、「唐茄子」ってナスではなく、カボチャのことなんですね。
格子状に編んだ棒に蔓を絡ませた唐茄子が、葉脈や茶色く枯れた部分、白い葉裏など、写実性と装飾性を織り交ぜながら変化に富んだ姿で描かれています。
少しアールヌーヴォー的な要素もあるのかもしれません。
画面左下に描かれた黒猫が愛らしいアクセントになっています。




小林古径《唐蜀黍》1939


これも夏野菜の画。
トウモロコシってなんとなく暑苦しい感じがしますが、みなぎる生命力を表現しながらも繊細で涼しげな風情に仕立てているのは古径ならでは。




浅原清隆《郷愁》1938

これは日本画ではなく油彩画なのですが、今回とても心惹かれた作品のひとつ。
写真ではまったく再現できなかったのですが、深みのある透き通るような青をたたえた神秘的で荘厳な絵でした。
何も考えずに頭を空っぽにして、いつまでもうっとりと眺めていたくなるような絵。
美しい絵の前では、言葉も思考も何も要らなくなります。
ただ感覚だけで味わいたい。


所蔵品めぐりは、ひたすら絵の美しさに耽溺できた幸せな時間でした。

 










東京国立近代美術館・常設展のパウル・クレー

美術館の収蔵作品展には、企画展に合わせてパウル・クレーの作品群も展示されていました。
             
小さな秋の風景(1920)油彩

秋色に染まった可愛らしい作品。
四角い石畳に、木の実や枯葉が隠れているようなイメージです。


破壊と希望(1916)リトグラフ

徴兵直前に描かれた作品なのかな。
当時のクレーの心情や時代の雰囲気があらわれている気がしました。

内面から光を発する聖女(1921)リトグラフ

クレーが描く「美女」や「淑女」や「聖女」って矛盾を孕んでいて、どこか反語的。

企画展に展示されていた《魅力(女性の優美)》というタイトルの作品にも、グロテスクで意地の悪そうな年配の女性が描かれていました。

ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』みたいな意味合いがあるのかな。
つまり、外見はタイトル通りの聖女や魅力的な女性だけれど、内面は絵に描かれているような醜悪さを秘めている女性の本性を描こうとしたとか……。

ドイツ語がわからないので確認できないのだけれど、もしかすると、クレーのタイトルにはダブル・ミーニングが込められているのではないでしょうか。



櫛をつけた魔女(1922)リトグラフ

これも、どうみても魔女には見えない。
可愛らしい「おじさん」かと思いました。
カリカチャア的なものなのかな。



棘のある道化師(1931)銅版
    
「棘のある道化師」って、諺か何かに由来しているようなタイトルですね。
どうなのだろう……。  




ペルセウス(機知は苦難に打ち勝った)(1904)銅版
    
ギリシャ神話の英雄がこんな顔に……。
アルチンボルドや歌川国芳の顔絵を彷彿させます。




空中楼閣(1915)銅版
 「空中楼閣」って蜃気楼のことだけれど、ドイツ語でもそうなのだろうか。
         


情熱の園(1913)銅版

人物が入り乱れているのかな……。
ソドムの街みたいに見える。


花のテラス(1937)綿布に油彩

これは綿布に描かれているので、質感が面白い作品でした。
布の端のほつれがそのままになっていて、それも作品の味わいとして経年変化を楽しんでほしいという画家の意図がうかがえます。

               

パウル・クレー ~ おわらないアトリエ

Art in the Making 1883-1940

金曜日の午後、東京国立近代美術館で開催されているパウル・クレー展に
行ってきた。

バウハウス・ヴァイマールのアトリエ(1926)

今回の企画展は、「制作過程そのものが作品」と述べたクレーの技法や制作プロセスを追体験するための趣向が随所に凝らされていた。

『自画像』のあとの『アトリエの中の作品たち』のコーナーでは、クレーが生涯に構えた5つの街のアトリエの写真を展示し、その写真の中の作品がアトリエごとに紹介されていた。

解説によると、クレーがコダック製カメラで撮影したアトリエの光景は、一見無造作で自然に見えるが、じつは画家自身によって巧みに配置され、演出されているそうだ。

クレーの作品群が映っているアトリエの写真そのものも、彼の作品だったということになるのだろうか。



ここに掲載した写真以外にも、いかにもバウハウス時代のドイツを思わせる室内空間がノスタルジックな雰囲気を醸していた。



破壊された村(1920)油彩、アスファルト下地、厚紙

ミュンヘンのアトリエの写真の中の絵のひとつ(ポストカードの絵なので画像が粗い)。
このころは油彩で具象画的な作品を描いていたようだ。
どちらかといえば表現主義的な作風だ。

尖塔がずれた教会の前に、死者を悼むように燭台と火の消えた蝋燭が掲げられている。
ゲルマン的な瞑想の森は戦火に見舞われ、焼け残った樹木がかろうじて形をとどめているばかり。
人影なもはやなく、廃墟と化した村に、血のように赤く沈鬱な太陽が昇っている。


わたしがこの作品にひかれたのは、いうまでもなく、震災・原発事故を想起させたからだ。

この絵が描かれた数年前に第一次世界大戦が勃発し、クレーもドイツ軍に入隊。青騎士展にともに出品した友人のマッケやマルクは戦死した。

破壊されて荒廃した祖国や失った友への思いがこの絵に込められているのかもしれない。



  
淑女の私室でのひとこま(1922)油彩転写、水彩、紙、厚紙

1914年のマッケとのチェニジア旅行と1917年の従軍経験を経て、クレーは「油彩転写」という独自の技法を開発した。
油彩技法とは、黒い油絵を一面に塗った紙の上に、白紙の紙を置き、さらにその上から、あらかじめ描いていた素描を重ねて、素描の描線を針でなぞり、白紙の紙に黒い描線を転写したあと、水絵の具で彩色する方法。

むかーし、保育園か幼稚園のころに、クレヨンで描線を引いた上から水彩絵の具で着色した絵を描いたり、クレヨンでカラフルに色づけした画用紙を黒いクレヨンで塗りつぶし、その上から釘でひっかいて絵を描いたりしたことがあるけれど、なんとなく、あの「ひっかき絵」に似ている気がした。
(あの手のお絵かきは結構好きだった。)

   
この《淑女の私室でのひとこま》も、油彩転写を使った作品。

針でなぞったおかげで繊細な描写が可能になり、さらに水彩画で彩色したことで、油彩には出せないガラスのような透明感を表現することができた。

そして何よりも(これはクレーが思考錯誤の末に見出したものだと思うが)、転写の際に偶発的についてしまう黒い油彩の「しみ」が、この絵に独特の味わいを添えている。


実験的な技法と、緻密に計算された構図と透けるような色彩。
それらに、水彩画のにじみや、水が沁み込んだことによる紙のゆがみ、そして転写による黒いしみといった偶然性を加えることが、クレーの狙いだったのだろう。

そしてさらにこの絵を面白くしているのが、そのタイトルだ。
何も知らされずにこの絵を見て、「淑女の私室でのひとこま」というタイトルを想起する人はまずいないだろう。
タイトルを目にして、あらためてこの絵を見ると、さまざまな要素がどこか官能的で、エロティックなかたちとして立ちあらわれてくる。
        
描線にも、色彩にも、構図にも、素材にも、タイトルにも、そして絵の汚れにさえも、巧妙な仕掛けが施されているのが、クレーの絵なのだ。



花ひらいて(1934)油彩、カンヴァス

クレーは油彩転写のほかにも、さまざまな試みをおこなっている。

そのひとつが、この《花ひらいて》という作品。
この絵は、《花ひらく木》という1925年に描いた自分の絵をもとにして描かれた(《花ひらく木》を90度左に回転させてから二倍に拡大して、色彩を明るくして描いている)。

《花ひらいて》の裏に、《無題》という絵が描かれている点も興味深いが、わたしが心ひかれたのは、《花ひらく木》と《花ひらいて》の素材の違いである。

《花ひらく木》は厚紙に描かれているのに対し、《花ひらいて》はカンヴァス地に描かれているのだが、素材の違いで、色の質感が微妙に異なるのが面白い。

特に紙に描かれた《花ひらく木》のほうは、経年により厚紙に凸凹ができているため、それがさらに色彩のグラデーションが生み出す湾曲感を高めていて、非常に立体的な作品に見えるのだ。

平面(二次元)的な絵画に立体感(三次元的感覚)を与え、さらに「経年」という時間的な変化をも加えて、作品を(画家自身の死後も)継続的に創作していく。
これこそが、クレーの制作プロセスであると同時に作品でもあることを気づかせてくれる試みだった。





獣たちが出会う(1938)油彩、糊絵の具、厚紙、合板

1930年代半ば、ファシズムが台頭する中で、クレーは「頽廃芸術家」というレッテルを貼られ、家宅捜査や美術アカデミー教授職の無期限解雇(バウハウスとの契約はみずから解消していた)などの弾圧を受ける。

1915年の《闊歩する人物》という作品の裏には、新ミュンヘン分離派の印刷物が貼られている。
それによると、「我々は若者を堕落させるもの、汚物を撒き散らすもの、つまりはドイツ精神の裏切り者とみなされた。我々は意味もなく横暴なだけのこうした避難を跳ね除け、罵詈雑言を振り払う所存である。我々は活動を続けていく」とあり、当時のクレーの決意がうかがえる。

だが、ナチスによる弾圧がさらに強くなるなか、1935年には皮膚硬化症の最初の兆候があらわれ、1937年にはドイツ国内の公的コレクションから102点のクレー作品が押収される。

そうした逆境のなかで描かれたのが、この《獣たちが出会う》だ。 

クレーは晩年その描線を、油彩転写に見られる針金のような繊細なものから、書の墨線のような太くたくましい描線へと変化させ、色彩もアフリカ的でエスニックな色調に変えて、象形文字のような記号を数多く登場させている。

中期の《蛾の踊り》や《幻想的なフローラ》に見られる、ステンドグラスのような透明感のある美しい色彩とはまったく異質の、太陽の光を跳ね返すような強烈な色彩。
この大きな作風の変化の背後にはいったい何があったのだろう。

亡命の地での闘病生活における彼の思いや心境はうかがい知ることはできない。
しかし苦しく不自由な環境でも、否、苦しく不自由な環境だからこそ、そのなかで創造力をさらに自由に駆使して、さまざまな実験を試みることができる、そのことをクレーの作品は教えてくれる。

彼の作品はどれもみな永遠に解けない謎だけれど、彼の絵がはるか海を越えて今の日本に来てくれた、そのことに意味があるような気がする。

数々の展覧会がキャンセルになる中でこの企画が実現し、見る人の心をときめかせたという事実に、クレーからのメッセージが込められていると勝手に思うことにした。

いずれにしろ、見るたびに違った見方ができるのが、クレー作品の魅力である。
できれば会期中にもう一度訪れることができますようにと念じつつ、会場を後にした。

             
                     
                

2011年7月9日土曜日

東北を思う ~松本竣介作品に出会う

東京国立近代美術館の所蔵作品展では、東北にゆかりのある作品が展示されていた。                


松本竣介《並木道》1943

宮城県立美術館所蔵の洲之内コレクションの一枚として松本竣介の《白い建物》が、日曜美術館で紹介されていて、松本竣介の絵を見たいと思っていたところ、運よく彼の作品に出会うことができた。

写真ではくすんだ色だが、実際の作品はもう少し青みがかっていて静謐な心象風景のような印象。
松本竣介が聴覚を失っていたことから、彼の作品は「音のない世界」といわれるが、本当に無音の世界の中で、時が止まったかのような不思議な絵だった。



東山魁夷《青響》1960

福島市から会津若松を抜ける土湯峠のブナの原生林と山肌を流れる清らかな滝を描いた作品。

鳥肌が立つほど神秘的で奥深い碧。
画家に霊感を与えた彼の地の自然。
その清浄で神々しい山を汚してしまった人間の愚かさを、この画は鏡のように映しているような気がした。
この画は言葉以上に、人間の愚行の結果を雄弁に物語っている。




奥田元栄《磐梯》1962
                                  
宮城県生まれの画家の作品。
絵の具で厚く彩色することにより、岩肌のゴツゴツした質感を再現している。

「磐梯山に対峙したときに抱いた自然の脅威や畏敬といったものを、自分なりに表現できたと思った」と画家は述べている。

                                 


高村光太郎《鯰》1926

どうして高村光太郎が「東北を思う」のカテゴリーに入るかというと、『智恵子抄』の阿多多羅山(安達太良山)つながりだからとのこと。

その『智恵子抄』に「鯰」の制作過程をうたった詩がある。


盥の中でぴしやりとはねる音がする。
夜が更けると小刀の刃が冴える。
木を削るのは冬の夜の北風の為事である。

煖炉に入れる石炭が無くなつても、
鯰よ、
お前は氷の下でむしろ莫大な夢を食ふか。

檜の木片は私の眷族、
智恵子は貧におどろかない。

鯰よ、
お前の鰭に剣があり、
お前の尻尾に触角があり、
お前の鰓に黒金の覆輪があり、
さうしてお前の楽天にそんな石頭があるといふのは、
何と面白い私の為事への挨拶であらう。

風が落ちて板の間に蘭の香ひがする。
智恵子は寝た。

私は彫りかけの鯰を傍へ押しやり、
研水を新しくして
更に鋭い明日の小刀を瀏瀏と研ぐ。


      



佐藤玄々《動》1929
    
ガブッ。
ネコ(豹?)がガチョウにかぶりつく瞬間。

福島県相馬郡出身の彫刻家の作品。
ペルシアの獅子狩文などに、獅子が鹿や猛禽にかぶりついている姿がよく描かれているが、 そこから着想を得たのかもしれない。

ネコもガチョウも必死なのだろうが、どことなく愛嬌がある。
印象的な面白い彫刻だった。                         



萩原守衛《女》1910
                                             
長野県出身の萩原守衛がなぜ東北なのかというと、モデルの相馬黒光が宮城県の出身だからとのこと。
こじつけ?

いずれにしろ、いまはこういう情念系は少し苦手かもしれない。
黒光という女性が、どうも苦手なのだ。



萩原守衛《文覚》1908

                                                        



平櫛田中《鶴しょう》1942

非常に重量感のある岡倉天心像。




2011年6月25日土曜日

ムットーニ ワールドへ ~ 八王子市夢美術館

              
「そもそも私の根底にあるのは、濃密な閉ざされた世界を垣間見ること。
 そしてそこに神秘の領域と、永遠の迷宮と化したイメージの永久運動機を
 見出すこと……?」

                                                              武藤政彦『MUTTONISMO』



締め切りをひとつクリアしたので大好きなムットーニの展覧会へ。
この日は会期終了3日前の金曜日。おまけにムットーニ先生による上演会も開かれることもあり、会場は大入り満員でした。
 
上演会といっても、椅子席はなく、作品のまわりに観客が集まって、前列の人は地べたに体育坐り、後方の人は立ち見状態と、老若何女の村人たちが見世物小屋に集まっているようなスタイル。
そこへ渋めの黒いスーツに身を包んだムットーニ先生が登場。
活弁士のごとく巧みな話術で観客をムットーニワールドへと引き込んでいきます。


トップ・オブ・キャバレー(1997年)
画面下はムットーニのサイン

時は1920~30年代、禁酒法の時代。
華やかなりしビッグバンドの時代。

Harry James Orchestra with Kitty Kallenの "Like The Moon Above You"が流れるなか.機械仕掛けの人形たちのショータイムがはじまる。

琥珀色の肌をした歌姫が情感豊かに歌い上げ、
上段のバンドのリーダー(ハリー・ジェイムス?)がスポットライトを浴びながら
トランペットを高らかに吹き鳴らすと、
ステージの背後(最上段)から、バニーガールのコスチュームに身を包んだ
ダンサーたちが登場する。

煌びやかな古き良き時代。
いつまでも色褪せない永遠の時代。



クリスタル・キャバレー(1995年)

タワー型の本体の箱の両脇に小型のタワーを持つ、三位一体形式の組作品。

ムットーニは語る、
「名もない小さな惑星に、彼女のためにつくられた一夜かぎりの特別なステージ、クリスタル・キャバレー。
今宵こそ、あなたが歌姫。あなたの息吹は光となって世界を満たす……」    

曲は、とびっきり素敵なDinah Shoreの"My Melancholy Baby"(たしか、『クリスタル・ランデブー』という作品にもこの曲が使われています)。

この録音かどうか分りませんが、この曲です。
http://www.youtube.com/watch?v=lPJCRoQ9QoU

間奏に入ると、歌姫の背後にあるハーフミラーの奥から、ピアノとドラムとウッドベースのトリオが浮かび上がり、名もなき惑星の場末のキャバレーの一夜かぎりのステージを盛り立てます。


とろけるように甘くて、たまらなくせつないハスキーボイスとピアノの音色に浸りながら、バーボンを傾けたい気分。
(やっぱ、ここはワインじゃなくてバーボンだよね!)

ムットーニ・ワールドに引き込まれると、媚薬でもかいだように目眩がするほど陶然として、どうしようもなく涙があふれてくるのです。
       
この人形のように、美しいクリスタルの光に包まれながら、一夜という永遠の夜に歌い続けられたら、どんなにか幸せだろう……。




アローン・ランデブー(2006年)

『猫町』、『山月記』、『月世界探検記』と同じく、世田谷文学館所蔵の作品。
レイ・ブラッドベリの短編『万華鏡』を題材にしています。

ロケット事故で遭難した宇宙飛行士が、宇宙空間を漂い、散り散りになっていく話。

最後に残った宇宙飛行士が流れ星となって、地球にゆっくりと浮遊するように落ちていくところが、じつに繊細な動きで表現されています。

ムットーニが得意とする「ノスタルジックな近未来」、「永遠に来ることのない未来」を描いた、どこか物悲しく、それでいて温かみのある作品でした。

流れ星となって消えゆく存在。
これほどロマンティックな死があるでしょうか。
青白く輝く宇宙色の細長い箱の中にこめられた作者の美学を垣間見た気がしました。



ギフトフロムダディ(2005年)

ある日、お父さんからロケットのおもちゃをプレゼントされた少年。
ミラーボールのようにきらきら光る贈り物を前に、少年の心も輝いていました。

ここからが、ムットーニの真骨頂。

贈り物の蓋が開いてロケットが飛び出すと、箱の両側が三連祭壇画のように展開し(ここで、蝶番設計の苦労話を語るムットーニ)、夢の中の幻影のように光り輝く宇宙空間が出現します。

美しい環を持つ惑星。
透明なカプセルに覆われた宇宙ステーション。
マリンスノーのように静かに流れ落ちる星々。

これこそ誰もが少年少女だったころに一度は思い描いた宇宙都市ではないでしょうか。

未知でありながら既知のように懐かしい宇宙。
過ぎ去った近未来。

誰もが持つ既視感をくすぐるのがじつに巧いのです、ムットーニは。


というわけで、自動人形と光と音楽が織りなすムットーニの異空間を堪能しました。

この日は上演会は45分間の一回だけの予定だったのですが、ムットーニ先生は、その後も引き続き他の作品もいろいろ解説してくださって、至れり尽くせりでした。
(おまけに夢ねこが購入したポストカードもサインをしてくださり、ありがとうございました! 家宝にします!)




八王子に来たのは久々。
趣のある古い呉服屋さんを発見。




               

2011年6月4日土曜日

被曝の森はいま ~ チェルノブイリ25年

              
チェルノブイリ原発事故から25年。

原発周辺の生態系の研究が進み、動植物への放射線の影響がしだいにわかってきました。

その研究成果をまとめたのが、NHKで放送された『被曝の森はいま』です。

http://www.youtube.com/watch?v=rI3WFze9F2g&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=HXEssqBcIq8&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=VJOhV-h8g0Y&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=pPKWNxkj7Vk&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=MrzZHc3qZoE&feature=related

被曝のメカニズムがわかりやすく解説されています。

特に興味深かったのが、生体に備わる防御機能(ホルミシス効果による生体防御機構の活性化)が、ネズミに顕著にみられるという調査結果です。


これに対し、低線量の放射線を受け続けたツバメでは、奇形や奇形による機能障害、精子の形態的異常、老化の促進、短命、腫瘍が数多く見られました。

ツバメにこのような異常が多いのは、ツバメは渡り鳥なので、アフリカに長距離移動する際に抗酸化物質が大量に消費されるからだと推測されます。

放射線の有害な影響に打ち勝つには、抗酸化物質によってフリーラジカルを消し去る必要があります。
しかし、その武器である抗酸化物質は、海を渡り長距離移動することで消耗されるので、チェルノブイリのツバメは抗酸化物質が枯渇した状態でフリーラジカルと闘わなければなりません。

このため、ツバメの体に異常が発現しやすくなるそうです。

(抗酸化物質摂取の重要性が、あらためてわかります。アンチエイジングと同じ原理ですね。)


この番組を見て、さらに考えさせられたのが、チェルノブイリの森が立ち入り禁止区域になり、そこから人間がいなくなったおかげで、森林の生物多様性が高まったということです。

ということは、
多くの生物にとって敵となるのは、「放射線よりも人間」ということでしょうか。
予想通りというか……。

放射線に汚染された地域でも、生物は自然に淘汰され、優れた防御機能を備えたものが繁栄し、次の世代に遺伝子を受け渡していく。
自然とは、たくましいものです。


人間もむやみに怖がるのではなく、正しい知識と情報、そして理性と直観を武器にして、放射線とたくましく闘っていくことが大切ですね。


             

2011年6月3日金曜日

シャガールの故郷と原発被災地

        
福島の原発事故を思うと、なぜかシャガールの《私と村》を思い出します。


シャガール《私と村》
                

福島で酪農が盛んだからでしょうか。

それとも、シャガールの故郷ベラルーシがチェルノブイリの被災地でもあるからでしょうか。
(シャガールはチェルノブイリ原発事故の1年前に亡くなったので、郷土が放射能で汚染されたことを知らずにこの世を去りました。)

シャガールが故郷への思いを描いたこの絵の情景と、日本の原発被災地がオーバーラップするのです。


どちらも、のどかで豊饒な土地。

牧歌的な風景が広がる美しい大地が、人間の愚かさ、傲慢さ、慢心が招いた事故によって、とてつもなく汚染されてしまい、多くの人々が愛する故郷を追われました。

人間がみずからの手で生みだした原発。
原発に絡むさまざまな利権、強欲、搾取、お役所仕事、麻薬中毒のような交付金・補助金依存。
それらによって、国土が汚され、水や空気や食物が汚染され、人々の命や健康が脅かされ、家族が引き裂かれ、ささやかな幸せが奪われてしまった……。
これ以上の愚行は何としても食い止めないと、この時代にこの国に生きている意味がないように思うのです。


    * * * * *


……それにしても、世の中、殺伐としてきました。

夢ねこのまわりでも、盗難や犯罪が増えているように思います。
(夢ねこも最近被害にあいました。くれぐれも気をつけてください。)
集団ストレスやヒストリーも蔓延しています。

大好きなこの国がどうなってしまうのかと思うと、やりきれないのですが。

たまには音楽や絵画で心を癒さないと心身のバランスがとれないので、今夜はショパンの別れのワルツを。
http://www.youtube.com/watch?v=KSmo9w-MCP0
シャガールの絵にぴったりの曲です。


聴いていて思い出したのですが、この曲は、90年代初めにリリースされた元祖3Dゲーム『Alone in the Dark』のエンディングにも使われていました。
http://www.youtube.com/watch?v=K56mD0MPlhY&feature=related

あれから20年近く経ったのかあ。
不朽の名作ともいえるPCゲームで、病みつきになったものです。
今見ると、動きがぎこちなくて画像も粗いですが、フランス人好みのダークなユーモアがそこはかとなく漂っていて、懐かしい。