昨日、花冷えの月曜日。
近くの公園の桜は、まだ四分咲きでした。
まるで何事もなかったように澄み切った空。
無垢に見える透明な蒼さがかえって哀しい。
花もまたながき別れや惜しむらん のちの春とも人をたのまで
雅成親王
2011年4月3日日曜日
キュリー夫人のノート
海外の美術関係者が、日本への作品の貸し出しに難色を示しているという
ニュースが入ってきた。
震災以降、日本の各美術館・博物館の学芸員の方々はさぞかし苦労されているだろうと案じていたのだが、憂慮していたことが現実になってしまったようだ。
ソース:西日本新聞 http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/235064
大切な作品を貸し渋るという気持ちも分らなくもない。
大地震もさることながら、おそらく原発問題(放射能汚染)を危惧してのことだろう。
キュリー夫人の研究ノートからは、80年近くたった今でも強力な放射線が放たれているという。
海外では放射能汚染といえばそうしたイメージが強いから、おそらく向こうの
アートディレクターたちも、いま日本に貸し出したらキュリー夫人のノートのような結果になるのではないかと神経過敏になってしまうのかもしれない。
(目に見えない分、よけいに恐怖心を掻き立てるものであるらしい。放射線は。)
悲しいけれど、
これからもしばらくはこういうことが起きるのだろう。
とりあえずなんとか時間をつくって、フェルメールとレンブラントに会いに行こう。
2011年4月2日土曜日
大切なのは現実と向き合うこと
3週間が過ぎた。
今週、英国『Guardian』紙は、元GEの技術者Richard Lahey氏のインタビューを掲載した。
福島第1原発の原子炉は同社が開発および技術指導をしたものだが、Lahey氏はそれらの原子炉を福島原発に導入する際に、安全性調査のヘッドを務めた人物である。
同氏はこのように語る。
「(福島第1原発)2号機の状態や放射線測定値、および測定された放射性物質を分析した結果、溶融した炉心が圧力容器の底を溶かして突き破り、少なくともその一部がドライウェル(格納容器)の床に落ちていると思われる」とLahey氏。「この予想がはずれていることを願うばかりだが、ここにあるエビデンスは確かにそのことを示している」
さらに、「(溶融した燃料は)ひとつの大きな塊になって出てくるのではなく、溶岩のように流れ出てくるだろう」(後者の方が冷却しやすいので、まだましだと同氏は語っている。) 本ブログ管理人訳
そして昨日(4月1日)、フリージャーナリストの岩上安身氏が、京都大学原子炉実験所助教の小出裕章氏(長年、原発の実態を科学的に語ってきた人物)に対してインタビューをおこなった。
「圧力容器に穴があいていることは、原子力の専門家ならもう誰でも気づいている」と小出先生は語る。そして、「この穴をふさぐ手立てはない。放射線レベルが高すぎて、もはや誰も近寄れないからだ」と述べ、これから福島第1原発がたどるだろう経緯を、誰よりも明確に、納得のいく形で示している。
インタビュー映像の録画
http://www.ustream.tv/recorded/13695456
わたし自身は、逆説的だが、最悪のシナリオ(説得力のあるシナリオ)を知っておいた方が、はるかに気持ちが休まった。
ここで紹介した真の専門家たちの見解をどのように捉えるかは各自の自由であるが、政府や官僚、マスコミに真実の開示を求めてもまったくの無駄であることが明白になったいま、無知による集団パニックを避けるためにも、できるだけ多くの人が「正常な危機感」を持つことは大切だと思う。
《付記》
中部大学の武田邦彦先生が、原発や放射線汚染について、専門家としての信念と使命感をもってブログの中で述べていらっしゃいます。
東北や首都圏に住む人は、しばらくは”放射能的生活”を送らなければならないので、「自分や家族の身は自分で守るしかない」と考えている人にお勧めです。
http://takedanet.com/2011/03/16_3882.html
ガイガーカウンタ計測グラフ:東京近辺にお住まいの方には参考になるかもしれません。
http://park30.wakwak.com/~weather/geiger_index.html
今週、英国『Guardian』紙は、元GEの技術者Richard Lahey氏のインタビューを掲載した。
福島第1原発の原子炉は同社が開発および技術指導をしたものだが、Lahey氏はそれらの原子炉を福島原発に導入する際に、安全性調査のヘッドを務めた人物である。
同氏はこのように語る。
「(福島第1原発)2号機の状態や放射線測定値、および測定された放射性物質を分析した結果、溶融した炉心が圧力容器の底を溶かして突き破り、少なくともその一部がドライウェル(格納容器)の床に落ちていると思われる」とLahey氏。「この予想がはずれていることを願うばかりだが、ここにあるエビデンスは確かにそのことを示している」
さらに、「(溶融した燃料は)ひとつの大きな塊になって出てくるのではなく、溶岩のように流れ出てくるだろう」(後者の方が冷却しやすいので、まだましだと同氏は語っている。) 本ブログ管理人訳
そして昨日(4月1日)、フリージャーナリストの岩上安身氏が、京都大学原子炉実験所助教の小出裕章氏(長年、原発の実態を科学的に語ってきた人物)に対してインタビューをおこなった。
「圧力容器に穴があいていることは、原子力の専門家ならもう誰でも気づいている」と小出先生は語る。そして、「この穴をふさぐ手立てはない。放射線レベルが高すぎて、もはや誰も近寄れないからだ」と述べ、これから福島第1原発がたどるだろう経緯を、誰よりも明確に、納得のいく形で示している。
インタビュー映像の録画
http://www.ustream.tv/recorded/13695456
わたし自身は、逆説的だが、最悪のシナリオ(説得力のあるシナリオ)を知っておいた方が、はるかに気持ちが休まった。
ここで紹介した真の専門家たちの見解をどのように捉えるかは各自の自由であるが、政府や官僚、マスコミに真実の開示を求めてもまったくの無駄であることが明白になったいま、無知による集団パニックを避けるためにも、できるだけ多くの人が「正常な危機感」を持つことは大切だと思う。
《付記》
中部大学の武田邦彦先生が、原発や放射線汚染について、専門家としての信念と使命感をもってブログの中で述べていらっしゃいます。
東北や首都圏に住む人は、しばらくは”放射能的生活”を送らなければならないので、「自分や家族の身は自分で守るしかない」と考えている人にお勧めです。
http://takedanet.com/2011/03/16_3882.html
ガイガーカウンタ計測グラフ:東京近辺にお住まいの方には参考になるかもしれません。
http://park30.wakwak.com/~weather/geiger_index.html
2011年3月29日火曜日
贖罪と無力感
悲しみ、憤り、絶望、どうしようもない無力感。
毎日、毎日、さまざまな感情が押し寄せてくる。
年収の何割かを被災地に送った。
文字通り、貧者の一灯。
これが、いまの夢ねこにできる精一杯のことだ。
地震と津波は、人為では如何ともしがたい天災だったけれど、いま起きている
原発事故は明らかに人災。
自分も含めて都会に住む人間が享受してきた便利さ、贅沢、そして70年代以降の日本の成長、繁栄、物質的豊かさ。
その影で、ジュクジュクと化膿し続けてきた虚栄の暗部が、未曾有の大地震と津波をきっかけに一挙に噴き出したのだ。
その犠牲となった原発周辺に住む人たち……。
危険区域から退避していた人々が、自宅に戻る姿が映し出されていた。
その中の酪農家の男性は、可愛い牛たちの健康管理のために、
毎日搾乳しているのだと純朴そうな表情で語っていた。
男性の息子さん(14歳)は、将来、父親のあとを受け継いで酪農家になるのだと、夢見るような明るく澄んだ瞳でインタビューに答えていた……。
わたしは、この映像を見てたまらず号泣した。
この人たちは、また元のような生活に戻れると信じて、避難している。
でも、先祖から受け継いだその土地は、大切に育ててきた牛たちは、
もう汚染されてしまっているのだ。
元に戻るには、何年も、何十年もかかるかもしれない。
もしかしたら、もう永久に元に戻ることはないのかもしれない。
いったい、この人たちが何をしたというのだろう!
なぜ、こんな目に遭わなければならないのだろう!
プルトニウムが検出された。
周知のように、プルトニウムの半減期は2万4000年。
ストロンチウム検出の報告はまだされていないが、放射性ヨウ素もセシウムも検出されたので、かなり高い確率ですでに漏出していると考えられる。
ストロンチウムの半減期は、およそ30年。
避難している人々にはそうしたことは伝えられていない。
原発には巨大な利権がからんでいる。
政財界の大物や地方の有力者、天下り官僚、御用学者が私腹を肥やすなか、いつも犠牲になり、虐げられるのは善良な弱者だ。
いや、悪いのは、悪徳利権者たちだけではない。
原発の恩恵に与り、便利な暮らしを当たり前のように営んできたわたしたちも、
物質的豊かさの底に潜在していた重大な危険に目をそむけて、
ひたすら鈍感に、利己的に生きてきたわたしたちも、同罪なのだ。
人間の強欲、傲慢、無知の結果が、今回の原発事故である。
人間ほど愚かな生き物はいない。
これだけ痛い思いをしないと、自分の途方もない愚かさに気づかないのだから。
毎日、毎日、さまざまな感情が押し寄せてくる。
年収の何割かを被災地に送った。
文字通り、貧者の一灯。
これが、いまの夢ねこにできる精一杯のことだ。
地震と津波は、人為では如何ともしがたい天災だったけれど、いま起きている
原発事故は明らかに人災。
自分も含めて都会に住む人間が享受してきた便利さ、贅沢、そして70年代以降の日本の成長、繁栄、物質的豊かさ。
その影で、ジュクジュクと化膿し続けてきた虚栄の暗部が、未曾有の大地震と津波をきっかけに一挙に噴き出したのだ。
その犠牲となった原発周辺に住む人たち……。
危険区域から退避していた人々が、自宅に戻る姿が映し出されていた。
その中の酪農家の男性は、可愛い牛たちの健康管理のために、
毎日搾乳しているのだと純朴そうな表情で語っていた。
男性の息子さん(14歳)は、将来、父親のあとを受け継いで酪農家になるのだと、夢見るような明るく澄んだ瞳でインタビューに答えていた……。
わたしは、この映像を見てたまらず号泣した。
この人たちは、また元のような生活に戻れると信じて、避難している。
でも、先祖から受け継いだその土地は、大切に育ててきた牛たちは、
もう汚染されてしまっているのだ。
元に戻るには、何年も、何十年もかかるかもしれない。
もしかしたら、もう永久に元に戻ることはないのかもしれない。
いったい、この人たちが何をしたというのだろう!
なぜ、こんな目に遭わなければならないのだろう!
プルトニウムが検出された。
周知のように、プルトニウムの半減期は2万4000年。
ストロンチウム検出の報告はまだされていないが、放射性ヨウ素もセシウムも検出されたので、かなり高い確率ですでに漏出していると考えられる。
ストロンチウムの半減期は、およそ30年。
避難している人々にはそうしたことは伝えられていない。
原発には巨大な利権がからんでいる。
政財界の大物や地方の有力者、天下り官僚、御用学者が私腹を肥やすなか、いつも犠牲になり、虐げられるのは善良な弱者だ。
いや、悪いのは、悪徳利権者たちだけではない。
原発の恩恵に与り、便利な暮らしを当たり前のように営んできたわたしたちも、
物質的豊かさの底に潜在していた重大な危険に目をそむけて、
ひたすら鈍感に、利己的に生きてきたわたしたちも、同罪なのだ。
人間の強欲、傲慢、無知の結果が、今回の原発事故である。
人間ほど愚かな生き物はいない。
これだけ痛い思いをしないと、自分の途方もない愚かさに気づかないのだから。
2011年3月28日月曜日
ドグラ・マグラ
いよいよ、カウントダウンに入ったのかもしれない。
人類がいまだかつて経験したことがないほどの恐ろしい事態が進行しつつある。
それなのに、為政者も学者も「安全だ」、「大丈夫だ」と事も無げに言い放ち、
テレビでは能天気なバラエティー番組が流れつづけ、
平穏な日常が継続されている。
刻々と、着実に、断末魔を迎えつつある世界の中で、
人々は弛緩した笑みを浮かべながら、
何の変哲もない日常を無感覚に、鈍感に営み続けている。
その恐ろしいギャップ。
不気味な違和感。
アンソールの絵の中で嘲笑する仮面の群衆に囲まれているような気分になる。
もはや誰も近づけない原発。
手の施しようのない危機的状況と、呑気な報道内容のアンバランス。
狂っている……。
彼らが、世の中が、何もかもすべてが。
それとも、狂っているのはわたしのほうなのか?
放射線の恐怖におびえるのは、わたしが狂っているから?
再臨界の恐怖におびえるのは、わたしが狂っているから?
本当は、彼らが正しくて、
放射線に汚染された水も、空気も、食品も、「安全」で、
高濃度の放射性物質が海中に流出しても、
作業者の被曝許容値を引き上げて
高いレベルの放射線が充満した原子炉で生身の人間を作業させても、
問題はないのだろうか?
そこへ行って作業しろと、安全な場所から平然と言い放つ、
電力会社のお偉方、高名な学者、そして役人や政治家たち。
(そして恐ろしいことに、それについてはわたしも同罪だ!)
それがきわめて重大な、
「危機的」という言葉をもはるかに超えた状況だと思うのは、
わたしが狂っているからなのか?
テレビの画面からは、相変わらず笑い声が響いてくる。
狂っているのはわたしのほうなのか?
人類がいまだかつて経験したことがないほどの恐ろしい事態が進行しつつある。
それなのに、為政者も学者も「安全だ」、「大丈夫だ」と事も無げに言い放ち、
テレビでは能天気なバラエティー番組が流れつづけ、
平穏な日常が継続されている。
刻々と、着実に、断末魔を迎えつつある世界の中で、
人々は弛緩した笑みを浮かべながら、
何の変哲もない日常を無感覚に、鈍感に営み続けている。
その恐ろしいギャップ。
不気味な違和感。
アンソールの絵の中で嘲笑する仮面の群衆に囲まれているような気分になる。
もはや誰も近づけない原発。
手の施しようのない危機的状況と、呑気な報道内容のアンバランス。
狂っている……。
彼らが、世の中が、何もかもすべてが。
それとも、狂っているのはわたしのほうなのか?
放射線の恐怖におびえるのは、わたしが狂っているから?
再臨界の恐怖におびえるのは、わたしが狂っているから?
本当は、彼らが正しくて、
放射線に汚染された水も、空気も、食品も、「安全」で、
高濃度の放射性物質が海中に流出しても、
作業者の被曝許容値を引き上げて
高いレベルの放射線が充満した原子炉で生身の人間を作業させても、
問題はないのだろうか?
そこへ行って作業しろと、安全な場所から平然と言い放つ、
電力会社のお偉方、高名な学者、そして役人や政治家たち。
(そして恐ろしいことに、それについてはわたしも同罪だ!)
それがきわめて重大な、
「危機的」という言葉をもはるかに超えた状況だと思うのは、
わたしが狂っているからなのか?
テレビの画面からは、相変わらず笑い声が響いてくる。
狂っているのはわたしのほうなのか?
2011年3月17日木曜日
パラレルワールド
一週間が経った。
大きな振動とともに、次元がぐにゃりと歪んで、パラレルワールドに迷い込んだ
気分だ。
表向きは平静を保っているけれど、身体は正直である。
あれからずっと目眩がして、余震で揺れているのか、ただの幻覚(幻震)なのかわからなくなるときがある。
ずっと規則正しく来ていた生理が、今日で4日ほど遅れている。
ストレスでホルモンバランスが崩れているのかもしれない。
「疎開」という言葉が、再び実際に使われることになるとは思わなかったけれど、みんな次々と東京を離れていく。
ある程度、覚悟はしていたものの、東電関連の病院に勤めている遠縁の人から恐ろしいことを聞かされた。
夢ねこだけでも、関西の実家に帰ったほうがいいのではないかと義母が言ってくださっている。
実家の母も心配している。
(泣き言めいたことを書いてしまったので、中略。)
とにかく、家人が仕事の立場上、東京を離れることができないのなら、夢ねこもここにとどまることにした。
「病める時も健やかなる時も、良き時も悪しき時も」である。
福島第一原発で、命がけで作業をしている現場の人たちには本当に頭が下がる。
国家のために、国民のために、使命感を持って活動してくださっている。
報道を見ていて涙が止まらなかった。
昨日、東電作業員のご家族がインタビューに答えて、「ある程度は、覚悟をしています」と言っていた。
その姿は、武家の奥方のように毅然としていて美しかった。
試練という言葉があるけれど、いまこそ人間として試されている時なのだ。
この体験を、人々の姿をしっかりと心に刻みつけて、(もしも「これからの生」が与えられるならば)、これから生きていくための糧としたい。
2011年3月13日日曜日
Heartbreaking Grief
本当に痛ましい光景だ。
胸が張り裂けそうになる。
家をなくし、家族をなくした人々の姿に、涙が止まらない。
救援部隊の人員もヘリコプターも圧倒的に足りない。
テレビ画面に映っている人々を救出できない、支援できない状態。
孤立した集落が多数存在している状態。
もどかしすぎて居ても立ってもいられなくなる。
もうすぐ米軍空母のロナルド・レーガンが到着する。
ヘリコプターの増機と仮説ヘリポートの設置、海兵隊の機動力に期待したい。
諸外国のあらゆる支援を有効に活用して、少しでも救援活動に役立ててほしい。
自分にできることは、とりあえず義援金だろうか。
それから、復興増税もいいと思う。
未曾有の大災害で、あれだけ多くの人が何もかも失ってしまったのだ。
全国民が今よりも多少なりとも貧しくなっても、ちっとも構わないではないか。
老いも若きも、男も女も、みんなで懸命に働いて、挽回すればいい。
2011年3月12日土曜日
Noah's Ark
昨日、出かける予定があったので浴室で髪を洗っていたら、突然グラッときた。
尋常じゃないほど激しく長い長い揺れ。
この体勢では逃げるに逃げられないので、急いで髪を流して、服を着て、テレビをつけた。
棚から本や辞書が落ちていたが、それほど実害はなさそうだ。
食器も割れていない。
すぐに家人から電話があり、お互いの無事を確認する(家人の職場は新宿のビルの20階にあるので、かなり揺れたそうだ)。
まさに一寸先は闇。
何が起こるかわからない。
日常から非日常へといきなり切り替わる、暴力的で圧倒的な瞬間を
またもや体験した。
昨日東京で感じた揺れは、阪神淡路大震災の時に大阪で感じた揺れと同じくらいだったと思う。
あのときは、隣で寝ていた家人がガバッと起きて、反射的に夢ねこの上に覆いかぶさり、夢ねこを護ってくれたのを思い出す。
でも、今回はひとりだ。
とりあえず、貴重品や常備薬、ビスケットなどをかばんに詰めて、いつでも逃げられる体勢にして、テレビで情報収集をした。
本当にすごいことになっている。
特に東北地方の津波の被害は甚大だ。
原発で作業をしている人も、救助活動にあたっている人も、身を呈して活動している。
画面を見ながら涙がこみ上げてくる。
家人はしばらく職場で待機していたが、夜中に私鉄とモノレールをはるばる乗り継いで(新宿駅は入場制限があったそう)、ようやく朝方に帰宅した。
夢ねこの父は宮城県出身なので、あのあたりには父方の親戚が大勢住んでいる。
昨日から方々に電話をかけているが、伯父とも従兄弟たちとも、まったく連絡が取れない状態だ。
どうすることもできない。ひたすら無事を祈るしかない。祈ることしかできない。
いくら科学が発達しても、自然の脅威は人智を超えている。
画面に映し出される非現実的な光景を前に、「現実」の圧倒的な力をまざまざと見せつけられた気がする。
2010年12月18日土曜日
あなたがどこにいようとも
私は窓から身をのり出して、
雲ひとつない夜空とそこに浮かぶ月の暈を見上げていた。
すべてはそこにあった。すべては宙に浮かんだまま。
雨も、霰も、火も、石も、そして神がいるならば、その御心も。
恒星も、惑星も、彗星も、私たちの運命も。
すべては宙ぶらりんのまま、空の彼方に浮かんだままだった。
――アンドレア・バレット『地図に仕える者たち』
師走も半ばを過ぎ、いよいよ殺人的スケジュールに突入した夢ねこです。
芳年の残酷絵がいつまでもブログのトップに来るのもどうかと思うので、
とりあえず近所で撮ったクリスマスの画像をアップします。

伊勢丹は「森」をイメージしたツリーだそうです。
シカやクマやフクロウなど、森の動物たちが隠れています。
駅ナカのリースはシンプル。
子供のころ、アジアのとある小国に住んでいたとき、
毎週のように教会(日曜学校)に通っていたことがあって、
クリスマスには賛美歌を歌ったり、
聖歌隊でキャンドルサービスをして各家庭をまわったり、
聖書物語の劇を演じたり
外国製のクリスマスカードを交換したりして、
あのころがいちばんクリスマス気分を満喫できたように思います。
クリスマス、冬至の祝い、ミトラの祭り。
若いころ経験したゴージャスなクリスマスも良かったけれど、
教会でロウソクを灯して厳かに過ごしたクリスマスのほうが、
懐かしくて、印象深い。
それでも
夢ねこはそっとささやいた、「神は天にあり、世はすべてよし」。
雲ひとつない夜空とそこに浮かぶ月の暈を見上げていた。
すべてはそこにあった。すべては宙に浮かんだまま。
雨も、霰も、火も、石も、そして神がいるならば、その御心も。
恒星も、惑星も、彗星も、私たちの運命も。
すべては宙ぶらりんのまま、空の彼方に浮かんだままだった。
――アンドレア・バレット『地図に仕える者たち』
師走も半ばを過ぎ、いよいよ殺人的スケジュールに突入した夢ねこです。
芳年の残酷絵がいつまでもブログのトップに来るのもどうかと思うので、
とりあえず近所で撮ったクリスマスの画像をアップします。
高島屋のツリーは小ぶりながら、シックでかなり凝っていますね。
シカやクマやフクロウなど、森の動物たちが隠れています。
駅ナカのリースはシンプル。
子供のころ、アジアのとある小国に住んでいたとき、
毎週のように教会(日曜学校)に通っていたことがあって、
クリスマスには賛美歌を歌ったり、
聖歌隊でキャンドルサービスをして各家庭をまわったり、
聖書物語の劇を演じたり
外国製のクリスマスカードを交換したりして、
あのころがいちばんクリスマス気分を満喫できたように思います。
クリスマス、冬至の祝い、ミトラの祭り。
若いころ経験したゴージャスなクリスマスも良かったけれど、
教会でロウソクを灯して厳かに過ごしたクリスマスのほうが、
懐かしくて、印象深い。
頭上では流星が空を切り、熱い石が降り注ぐ。その光に満ちた草原の彼方には、私にはけっして手にすることのできないものが存在していた。私が手に入れられるのは、いま私の隣にあるものだけだった。
それでも
夢ねこはそっとささやいた、「神は天にあり、世はすべてよし」。
2010年12月9日木曜日
首が飛んでも動いてみせるわ
某歌舞伎役者さんが、「反省が足りない」とボコボコに叩かれているけれど、
いいんじゃないかな、そんなに殊勝にならなくても。
歌舞伎なんて今でこそ高尚な伝統芸能として祭り上げられているけれど、本来はもっと血みどろで、極彩色の地獄絵図や濡れ場が登場するエログロの世界。
そういう世界をお行儀のいい品行方正な役者ばかりが演じてもツマラナイ。
もともと河原者や同朋衆は闇の世界ともつながっていたのだし。
もっと地獄を見て、泥水を飲んで、女性を散々泣かせて、叩かれても叩かれても這いあがってくるような役者こそ、凄みのある色悪が演じられるのであって、
海老蔵さんには成田屋のお家芸以外にも、そうした役を演じられる「華」と素質があるのだから、オモテとウラの顔を使い分けながら、ぜひともこのまま突っ走っていただきたい(って、夢ねこが言うまでもなく、いずれまた何かやってくれると思うけど)。
反省して小さくまとまらないで(山に籠って修業なんて論外)、
「首が飛んでも動いてみせらぁ」というあの名ゼリフを地で行くような
毒気と色気をあわせ持つ、グレードアップした海老蔵さんを見てみたい。
いいんじゃないかな、そんなに殊勝にならなくても。
歌舞伎なんて今でこそ高尚な伝統芸能として祭り上げられているけれど、本来はもっと血みどろで、極彩色の地獄絵図や濡れ場が登場するエログロの世界。
そういう世界をお行儀のいい品行方正な役者ばかりが演じてもツマラナイ。
もともと河原者や同朋衆は闇の世界ともつながっていたのだし。
もっと地獄を見て、泥水を飲んで、女性を散々泣かせて、叩かれても叩かれても這いあがってくるような役者こそ、凄みのある色悪が演じられるのであって、
海老蔵さんには成田屋のお家芸以外にも、そうした役を演じられる「華」と素質があるのだから、オモテとウラの顔を使い分けながら、ぜひともこのまま突っ走っていただきたい(って、夢ねこが言うまでもなく、いずれまた何かやってくれると思うけど)。
反省して小さくまとまらないで(山に籠って修業なんて論外)、
「首が飛んでも動いてみせらぁ」というあの名ゼリフを地で行くような
毒気と色気をあわせ持つ、グレードアップした海老蔵さんを見てみたい。
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