2012年4月30日月曜日

被災地へ

GWの初日、東京在住のわたしの家族は、大阪在住の親族たち(総勢8人)とともに、宮城県南部に住む伯父(父の兄)宅を訪れた。
(大阪の親族とは、仙台で合流。)


何もかも、すべて津波に流されて、原野のような荒涼とした風景が広がる
塩害のため草木も生えない

去年の震災では、父方の親戚が被災した。
遠い親戚のなかには家屋とともに津波に流されて亡くなった人もいたそうだが、わたしの伯父・叔父や従兄弟たちは奇跡的に無事で、家屋への被害も少なかった。


しかし、震災から1年以上たった今、伯父や叔父が大病を患ったり体調を崩したりしたため、お見舞いを兼ねて被災地に向かったのだった。


海沿いを走る常磐線の「坂元駅」の線路とホーム



坂元駅の駅舎は流され、線路は途切れていた。
線路が続いていた先に立つ煙突から、煙が出ているのが見えるだろうか。
瓦礫が焼却されているのだ。



かつて神社があった場所。赤く塗られたコンクリートは鳥居の残骸。




かつて松林や民家、イチゴ栽培のビニールハウスがあった場所。


点在する瓦礫の山。


新設された焼却炉で処理される瓦礫。



瓦礫の広域処理の是非について、わたしのなかでは未だに答えが見つからない。

瓦礫を広域で処理することによって、放射能汚染が全国に拡散するリスクは当然ある。
また、広域処理には巨額の利権が絡んでいるという(瓦礫処理に積極的な自治体首長や政治家が自分の身内が経営する産廃業者に便宜を図っているなどの)問題もある。


ただ、被災地の多くの人たちが、いまも苦しみ続けていることも事実だ。


瓦礫の山をこの目で見ても、答えが出ないことに変わりはないが、
瓦礫の広域処理をするというならば、広域処理の基準とされる1キロあたり8000ベクレルという基準はやはり高すぎると思う(IAEAの国際基準では、1キロあたり100ベクレル以上のものは低レベル放射性廃棄物処理場で厳格に管理するよう定められている)。
また、データの透明性を極限まで高める必要もあるだろう。


いずれにしろ、復興を遅らせている最大の原因のひとつは、言うまでもなく原発事故である。

これさえなければ、多くの自治体が瓦礫を喜んで受け入れただろうし、わたしのように水や食材や空気の放射能汚染を気にしている人も、復興支援のために、被災地の農水産物を積極的に購入したはずだ。

こうした悲劇を二度と繰り返さないためにも、メリットに比べてデメリットがあまりにも多すぎる原発依存から脱却しなければならない。

もちろん、それには多少の痛みが伴う。
電気によって実現した便利な生活を、今よりも若干不便な数十年前の生活に戻すことも必要なのかもしれない。